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 ■使徒の働き 4/14/2024

 

二人はこの町で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返して、弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。(使徒14:21‐23)

 

リステラでユダヤ人暴徒による迫害により瀕死の重傷を負ったパウロでしたが、彼は立ち上がり、デルベへと向かいます。更には引き返してきてリステラ、イコニオン、アンティオキアの町々を巡り歩いて、福音を伝え、前回パウロの伝道で救われた信徒や弟子たちを励まし続けました。その中で、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語り信仰生活には多くの苦しみを経なければならないことを意識することを伝えるのでした。
信仰の歩みには様々な困難や迫害が伴います。キリスト者として生きるということは同時に信仰の戦いがあることを覚えなければなりません。なぜなら神を信じていない人たちにとってみればそれは特異なことであり、にわかにキリスト者の生き方が理解できなかったりするのです。またその影響力の大きさのゆえに人々は脅威を覚えたりするからです。また、サタンも信じる者たちの信仰をくじこうと様々な策略で襲い掛かってくるのです。
迫害は私たちがキリスト者での証と言ってもいいでしょう。その迫害によって私たちの信仰は練り清められて行くのです。迫害に対してⅠペテロ4:12-13には「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。」とあります。迫害はキリストの苦難にあずかれるのだから一層喜ぶことを教えています。やがてキリストが来臨された時、共に歓喜にあふれて喜ぶためなのです。パウロは迫害に対する心構えを伝え、それぞれの町の教会に長老を立て、教会の態勢を整えていきました。パウロの伝道の苦労がわかります。その労苦のゆえに福音は更に伝わっていったのです。