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 ■ルカの福音書 4/25/2021

 

これらのことを話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。(ルカ福音書24:36-37) 

 

エルサレムの教会に弟子たち皆が集まり、復活のイエスにお会いしたことをそれぞれに分かち合い盛り上がっていました。エマオ途上でイエスに出会ったクレオパやペテロなど直接話したことなどを興奮しながら、分かち合ったに違いありません。
しかし、その会話のただ中に、イエスご自身が立たれたのでした。「平安があなたがたにあるように」と声をかけられたのでした。普通に考えても、復活の主が再び現れたのですから、喜んでもよさそうなものです。
しかし、「彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思った。」とあります。弟子たちはどこまで鈍いのだろうと、半ば呆れてしまうほどです。弟子たちの実態は復活のイエスを幽霊と間違ってしまうほどだったのです。その現れ方が特別驚くような現れ方だったのでしょうか。栄光の輝きはあったかもしれませんが、弟子たちを驚かせるような形ではイエスは決して現れなかったと思います。それなのに、弟子たちはおびえて震え上がるほどであったというのです。
人が本当の意味で悟るには時間がかかるということが言えます。弟子たちはイエスの復活を語り合っていたのですから、イエスの復活の事実は認めていたに違いありません。しかし、再びイエスが現われるとそれが悟れないのです。私たちの信仰も確信へと進んでいくには、このようなプロセスを通ることがあるのです。
毎回同じような信仰の姿勢が取れるとは限りません。時には恐れ、時には弱り、時には信じられない。しかし、神様はそのような私たちに、何度も現れて、イエスの復活を確実にしてくださったように、私たちも確信が来るまで、何度も何度も、イエスにお会いしなければなりません。不信仰を嘆かなくてもよいのです。私たちはそのようなものです。だからこそイエスの顕現が必要なのです。毎日、イエスを見上げ、イエスとのきずなを確かなものとさせていただこうではありませんか。

 

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