◆主と共に生きる◆信徒の証し

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2025.05.04

■黙想エッセイ

 

キリスト教の歴史は、希望の歴史です。100歳になるまで息子がいなくても、希望を持ちます。目の前には葦の海が波打ち、後ろからはエジプトの騎馬兵が追撃していても希望を捨てません。
普段より7倍熱い炎の中でも主とともに希望の歩みを歩む者が信仰者です。イエス様は捨てられた人でした。自らを「家を建てる者たちが捨てた石」と言い、十字架の上では天の父から捨てられた苦しみに耐えられました。しかし、イエス様は復活の勝利者となられました。捨てられたと感じる場所でも、天を見上げてください。全世界が嘲笑っても、神様に訴えてみてください。そうすれば、勝利者として立つことができるでしょう。
聖書には、「だれでもこの石 (家を建てた者たちが捨てた石) の上に落ちれば、粉々に砕かれ、またこの石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします」とあります(ルカ20:18)。つまり、衝突はわざわいを呼び寄せるという意味です。ですから、イエス様の側に立つのか、イエス様に逆らう側に立つのかの2つのうち、どちらを選択するかによって、永遠の運命が決まるのです。イエス様の前に自ら砕かれ、ひざまずいてこの方を受け入れられますよう願います。イエス様の御名をあがめ、その御足に口づけする神の民となりますように。そうすれば、これから来る神の国の基礎ができ、神の国でイエス様と永遠に生きることができるでしょう。これが、私たちの最も大きな希望なのです。

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