◆主と共に生きる◆信徒の証し
2025.12.14
■黙想エッセイ
神様は「エホバ・イルエ」、すなわち「備えてくださる神」です。それゆえ、私たちの必要をご存知で、それを満たしてくださいます。しかし、イエス様は私たちに積極的な祈りを勧められました。それは、私たちが手にするものが決して単なる偶然ではなく、神様の愛の結果であることを実感させるためです。
待ち望んでいた贈り物を通して、私たちは贈り主である方をより愛するようになり、与えられた答えを尊び、それを有益で意義あることに用いるようになります。そして、私たちの信仰はより堅固なものとなっていくのです。
イエス様は、私たちの信仰生活が「祈り」と「答え」の連鎖作用によって成り立つことを望んでおられます。祈りと答えは、進学、結婚、就職といった人生の重大事においてのみ起こる単発的なイベントであってはなりません。祈って答えを受け、また新たな祈りを捧げて新たな答えを受けながら生きていくべきなのです。このような聖く祝福された連鎖が習慣になるとき、私たちは素直に自分の意志を下ろし、神様の御心を受け入れられるようになります。
霧雨にいつの間にか衣服が濡れていくように、粘り強い祈りは私たちに、「何を得るか」ではなく「どのような人になるか」という点に、次第に焦点を合わせるようにさせてくれます。自分が粘り強く祈っていたように思えても、結局は神様が私を求め、探し、叩いておられたということ。そして、私が神様に向かうとき、神様もまた私に向いておられたという「悟りの恵み」を得ることになるのです。トンネル工事を見たことがあるでしょうか? 両側から掘り進んでいき、中で出会うことで貫通します。粘り強く祈る過程において、私たちの祈りは深まり、やがて神様の御心へと到達することになるでしょう。
