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2021.05.30

「罪の葛藤と解放」 ローマ人への手紙 7章14節—25節  西田育生牧師

 

パウロの葛藤には諸説あります。イエスを信じても葛藤が消えないなら信じるメリットがあるのかと思います。イエスを信じる前のパウロは自分が信じているものについて確信に満ちていました。しかし神を信じてから自分の中にある罪がどれだけ厄介なものであるかがいよいよ明らかになったのです。
私たちが罪の葛藤を覚えているとしたらそれは聖霊を通して神が示しておられるのであり、成長のプロセスの一つです。生きている限りこの罪の葛藤の戦いがありましょう。実は、自分こそ正しいと思う時、それはサタンの策略であり、気がついた時にはサタンの餌食になっているのです。パウロの葛藤は「私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は肉的な者であり、売り渡されて罪の下にある者です。…私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく私のうちに住んでいる罪です。」(ローマ7:14−20)と、自分の中にある罪の問題であり、分かってはいるがやめられないことを告白しています。よく考えるとパウロの葛藤は私達のそれとはレベルが違っていることが分かります。私達は善をしたいという欲求を感じても、本当に善をしたいかと問われるとむしろ誘惑の方をしたいと気づいてしまいます。パウロの葛藤は神の戒めに従いたくて誰よりも従ってきたのです。信仰成長の過程で、幼児から青年そして大人へと成長していきますが、パウロの葛藤は成熟した者から出るものだったのです。
パウロほど自分の思うように生きて達成感を得ていた人はいないと思います。しかし、キリストを知ったら逆にそれが自分の中にある罪なのだと目覚め始めていきました。「…善を行いたいと願っている、その私に悪が存在するという原理を、私は見出します。…神の律法を喜んでいますが、私のからだには異なる律法があって、それが私の心の律法に対して戦いを挑み…」(ローマ7:21−23)キリストを信じて罪から解放されていますが、罪を犯さないで真面目に生きている中にも罪はついてくるのです。例えば放蕩息子のたとえ話で、彼が帰ってきたことを快く思わない兄は忠実に働いていた自分には祝いの席を設けたことがないと指摘しました。(ルカ15:11~)この兄の姿は律法に忠実であると思っているパリサイ人の姿でもあります。(ルカ18:10~)あるいはマルタかもしれません。イエスをもてなそうと食事の用意に精を出していながら、話を聞いてばかりいる妹マリアを非難してしまいました。自分こそが正しいと思っていたからです。(ルカ110:38~)
パウロは自分の中にそんなことがあるとさえ思いませんでした。しかしキリストに出会って、自分の中に人を裁く心があると目覚めさせられたのです。彼は自分の力では罪から抜け出すことができないと知り、それはキリスト以外に無いと言っています。「…この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」(ローマ7:25)イエスを通して神の戒めを守ることができれば感謝ですが、同時にそれが人を裁くことが無いように点検してくことが必要です。自分の弱さ足りなさを認めて砕かれている時には罪の侵入はあまりありませんが、気をつけなければいけないのはある程度上手く行っている時であり、それは神の恵みによることを忘れてはなりません。「…キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」(ローマ8:2)私たちは救われてはいますが救いが完成されているわけではありません。救いの完成とはキリストの姿にどんどん変えられていき、いのちの御霊の律法の中に呑み込まれ、罪と死の律法から解放されていく信仰生活なのです。「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」(Ⅱコリ4:7)土の器である私達の中にキリストがあります。いつどんな状況でもキリストが輝いて下さっていると喜びましょう。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリ3:18)
人を裁くと却って自分も裁かれます。キリストにあって、主の御霊の中に生きる者になりましょう。人が喜ぶ時に共に喜び、人が祝福される時に良かったと共に言える者になりましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. パウロの葛藤と自分の葛藤を比べてどう思いますか。
  2. 救いの完成を目指して歩むためにできることはどのようなことでしょうか。

 

 今日の暗唱聖句

 

「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」 (ローマ人への手紙 8:1-2)

 

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