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2025.11.30

「アドヴェント:待ち望む」      ルカの福音書2章1節-5節      井上圭 伝道師

 

今日からアドヴェントになります。同じ語源でアドヴェンチャーがありますが、これは好奇心をかき立てるというニュアンスがあります。教会にとってのアドヴェンチャーとはイエスキリストに出会うことでしょう。  
今日の聖書個所には来たるべきメシア、イエスがこの世にお生まれになった素晴らしい出来事が記録されています。イエスがお生まれになった時代、皇帝アウグストゥスがローマ帝国の内戦を鎮め、統一しました。しかしアウグストゥスがもたらした平和は本物の平和ではありません。イスラエルの人々には政治的な自由は無く、宗教的な拘束もありました。そのため、聖書に書かれているように救い主を待ち望む声が大きくなっていました。「ベツレヘム・エフラテよ。…あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのために イスラエルを治める者が出る。…永遠の昔から定まっている。」(ミカ5:2)旧約聖書にはメシアの預言が多くのっていますが、このミカ書では救い主はベツレヘムでお生まれになると書かれています。救い主が生まれる舞台設定の環境を神は慎重に整えられましたが、その一つが住民登録です。
住民登録の目的は課税のためでしたがベツレヘムで救い主が生まれるという預言が実現する環境を整えられたのです。「人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。ヨセフも…ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。」(ルカ2:3-5)当時は移動手段も徒歩かロバしかなかったのに、身重のマリアも一緒に行きました。それは、ナザレの町で悪い噂から守るためでもあったのです。人の目には皇帝は命じた者、ヨセフとマリアは従う者という関係性でしたが、その背後には神のご計画とそれを遂行させる御手の力がありました。全世界を統治されている神の前では皇帝ですらも神のご計画の一部にすぎません。「万軍の主は誓って言われた。『必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの図ったとおりに成就する。』」(イザ14:24)神の御手の中で皆動かされ、歴史は動いています。
また救い主はダビデの血筋から生まれるという約束がありますが、ヨセフはダビデの家系なのでその約束が成就されました。神のなされることを実際見ることも推し量ることもできません。今この瞬間も神は働いておられます。私たちはその中に生き、動かされています。皇帝のことも救い主誕生の舞台を備えるために神は用いました。「わたしはあなたの神、主である。わたしはあなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」(イザ48:17)神がヨセフとマリアの人生を導いたように私たちの人生も導いておられます。ヨセフたちはヘロデから逃れるためエジプトへと移動しましたがここにも神のご計画がありました。神は私たちの手を握り導いてくださる良き羊飼いです。何があっても神から離れず共に歩むなら神は目的地へと導いてくださいます。神を信頼し待ち望むことです。その時気づかなくても後から神の導きと働きを確認することができます。…幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」(イザ30:18)
待つことは簡単なことではありませんが神はベストタイミングで私たちを導かれます。今の時代、待つことが苦手な人が多くなりました。タイパを気にする時代です。しかし、信仰にはタイパは存在しません。祈っても私たちの思い通りにはいきません。神は忍耐を要求され待つことを教えられます。待ち望む姿勢とは、神の約束を信頼しつつ積極的に待つ姿勢です。他の聖書個所には主を持ち望んだシメオンとアンナの話が出て来ます。彼らはもう高齢になっていましたがずっと救い主を待ち望んでいました。シメオンは「…主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。…両親が幼子イエスを連れて入って来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。『…私の目があなたの御救いを見たからです。』」(ルカ2:26-30)待ち続けるとは単調でつまらない毎日ではなく、深い祈りと神との親密な交わりを持ち続けることです。待つ時間は退屈なのではなく、喜びと希望の時間です。
シメオンが聖霊と共に待ったように私たちも聖霊と共に待ちましょう。信仰によって待つことは決して無駄ではありません。アドヴェントの期間、イエスを待ち望み、豊かな出会いと交わりが与えられますよう祈りましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. ヨセフやマリアのように、ご自分の人生の中で神の摂理が働いた出来事がありますか。
  2. 信仰によって待ち望んでいる事柄は、どのようなことでしょうか。

 今日の暗唱聖句

 

「それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえあわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」   (イザヤ書 30章18節)

 

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