2024.11.24
「感謝をもって主をあがめる」 ルカの福音書17章11-19節 井上 圭 伝道師
今日は収穫感謝礼拝です。感謝することは身近にたくさんありますが気づきにくいものです。身近にある感謝を見つけられる人は感謝の感度が高い人でしょうし、そうでない人は心が貧しい人と言えないでしょうか。
感謝すると言っても心の中で感謝すればいいわけではありません。感謝は表現してこそ価値があります。感謝を表現することは信仰の現われなのです。「ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」(コロサイ3:17)全ての行いに対して神に感謝することがクリスチャンのライフスタイルです。それを実践する時、神の祝福が与えられます。
「ある村に入るとツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。…声を張り上げて、『イエス様、先生、私たちをあわれんでください』…『行って自分のからだを祭司に見せなさい。』すると彼らは行く途中できよめられた」。(ルカ17:12-14)彼らは重い皮膚病のため、共同体から排除され差別された悲惨な状況に置かれていました。イエスには彼らを救う力があると信じたのでイエスに会いに来たのです。イエスが彼らに「からだを祭司に見せなさい。」(ルカ17:14)と言ったのは、彼らに癒しを体験させたかったからです。
重要なのは癒された後です。「そのうちの一人は、自分が癒されたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足元にひれ伏して感謝した。…『…九人はどこにいるのか。…神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。』」(ルカ17:15-18)イエスの元に戻って感謝を捧げたのは一人のサマリア人だけでした。癒された事に対して感謝を表すにはイエスの元に行き、ひれ伏してイエスを崇めるしかないと思ったのです。「感謝のいけにえを献げる者はわたしをあがめる。・・・わたしは神の救いを見せる。」(詩編50:23)感謝のいけにえを献げるとは口先だけでなく自分の心とからだ全てを捧げる事です。「正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。」(詩編97-12)信仰をもって主に感謝すれば受け入れられます。
イエスはサマリア人に「神をあがめるために戻ってきた者はいなかったのか。」(ルカ17:18)と尋ねられました。戻らなかった九人にも本当の意味で祝福された人生を手に入れて欲しかったのです。けれども彼らはイエスのもとには返らず、自分の道を歩んでいきました。彼らは自分の願いが叶えられた事だけで満足していたのです。
イエスはサマリア人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」(ルカ17:19)と言われました。「立ちあがって行きなさい。」(同)とは復活の言葉です。彼のこれからの人生はイエスと共にいのちに溢れる道を歩み、勝利を体験する人生へと変えられました。私達も信仰によって復活のいのちの力に満たされる人生へと変えられるのです。サマリア人の信仰の姿に倣ってより多くのいのちの力に満たされましょう。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)これこそ神の祝福を受け取る秘訣です。感謝する心を持つと感謝が自分の所へ戻ってきます。そして心豊かな人生へと変えられます。「すべてのことにおいて感謝」するとは感謝出来ない事があっても感謝する事を見出し、選ぶことです。
「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」(Ⅰテモテ4:4)感謝出来ない事が起きても違った角度から見てみましょう。神が造られたものはすべてよいものだと信じて感謝して受け取る時、捨てるべきものは何もありません。感謝はまわりに伝染し感謝を生みます。感謝すると人生が積極的で前向きになり、幸福ホルモンが分泌されるので心身共に健康になります。感謝すると好感度が上がり人間関係が良くなります。そして、感謝の種を蒔き続ければ、感謝の実を刈り取るようになるのです。
「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2)とどのような時にも感謝する信仰を持ちましょう。主に感謝を捧げる時、復活のいのちの力が満ちあふれます。神に感謝しながら信仰生活を歩んでいきましょう。
≪分かち合いのために≫
- 感謝の力を体験した事をお互いに分かち合って下さい。
- 日々の生活を振り返りつつ、まずできる感謝はどのようなことがあるでしょうか?
今日の暗唱聖句
「 感謝のいけにえを献げる者は わたしをあがめる。 自分の道を正しくする人に わたしは神の救いを見せる。」 (詩篇50篇23節)