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2025.08.17

「救いの証を伝えよう」    ヨハネの福音書21章24-25節   井上圭 伝道師

 

救いの証を伝えるのは、イエスの命令の一つです。教会では多くの人の証を聞きますが、誰一人として同じ証はありません。神はそれほど多様に私たちの人生に関わってくださっているのです。今日の聖書個所には「…私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」(ヨハネ21:24-25) とあります。イエスがどんなに多くのことをなさったのかがよくわかります。
ヨハネが著したのはこの福音書だけでなく、黙示録や3つの手紙も書き著わしました。彼は使徒たちの中で唯一殉教しませんが、殉教と同じくらい大変なところを通らされました。彼はイエスの公生涯3年半を共にした弟子の一人であり、傍で数々の奇跡や言動を見聞きした“目撃者”でもあります。目撃者に求められるのは、真実な証言であり虚偽の陳述は許されません。別のところで「…私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの…御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。」(Ⅰヨハネ1:1-2) と語りましたが、これは“イエス・キリスト”のことであり、“永遠のいのち”だと言っているのです。さらに「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」 (ヨハネ20:31)とあるように、一人でも多くの人にイエスのことを知っていのちを得てほしいとも考えているのです。
ヨハネの福音書の中には、数々の奇跡や真理が証言されています。例えば、カナの婚礼で水をぶどう酒に変えた話(2章)。サマリアの女の救いの証言(4)。五つのパンと二匹の魚の奇跡(6章)。嵐のガリラヤ湖の水の上を歩かれたイエスの記事(6章)。盲人の目が癒された奇跡(9章)。死んだラザロの蘇生(11)。その他、様々な証言がこの福音書に記録されていますが、さらに他の人々の証言を加えるなら収められないほどです。そして今でも世界中の至るところで、救いの証や様々な証が起こり続け、その証を信じ、永遠のいのちを得る人々が起こされています。そして私たち一人ひとりはイエスの生きた証人であり、私たちの証を通してイエスが神の子キリストであると信じ、いのちを得る人々が次々と起こされていくことを信じたいのです。
そもそも「証し」という言葉は、ギリシア語で「マルトゥレオ」と言い「殉教者」の意味があります。最初の殉教者と言われるステファノは聖霊に満たされ、大胆に証ししたため、人々から石を投げつけられ、殉教しました。また、イエスの証人たちはそれぞれ散らされていきましたが「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた」(使徒8:4)と書かれています。彼らは命の危険も顧みず、散らされた先々でみことばの福音を伝え、証しをして巡り歩きました。この生き方が、キリストの証人の生き方であり、殉教という犠牲を犯してでもキリストの証しをしたかったのです。パウロは「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」(ピリピ1:20)と告白しています。まさに彼は殉教を通してでもキリストを証しした人物なのです。 
私たちキリストの証人は法廷だけでなく、どこにいても神の御前に立っていることを覚え、イエスが神の子であることを証言することが求められます。時に私たちにとって、難しい環境や困難極める状況に立たされる場面かもしれません。しかしそのような時こそ、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と聖霊の助けを受けることで語る言葉が与えられるのです。
さあ、聖霊の力を借りて自らの救いの証とみ言葉によって、力強くそして大胆に証ししていきましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. それぞれの救いの証を5分以内で分かち合ってみてください。
  2. それぞれ誰に救いの証しと福音の言葉を伝えるように導かれていますか?  そのために一緒にお祈りしましょう。

 今日の暗唱聖句

 

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、 また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」 (ヨハネの福音書 20章31節)

 

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