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2025.12.21

「点と線」

 

「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。・・・ だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」 (創世記45:5-8)

 

自分がどうして教会に来られるようになったかをじっくり考えた事がありますか。イエス様に出会ってなぜキリストを信じるようになったか、その出会いはどうであったか。それを考えると、一人一人に神様が不思議な導きを持って導いてくださっている事が改めてわかるのではないでしょうか。
ある人は人生の大きな試練のただ中にあったときに教会に導かれた。あるいは人生における大きな転機の時であった。またある方は生きる意味を模索していた等など。
私自身も大きな病を抱え、人生の目的の不透明さの中で神様に出合うことが出来ました。教会に導かれるまでは「何で自分だけこんな辛い目にあうのだろう」とか、「何のために生きているのだろう」と現実の辛さだけが心にのしかかっていました。でも、そこからキリストに導かれ救われました
。全ての出来事は神の御手の中にある。神が全てをご計画を持って導いておられる。そのことがわかるようになってからはあまり慌てなくなりました。人生の見方が変わったのです。一見自分にとって不都合な事だと思われることも、神の全体プランからは必要な事であって、それを用いて神の栄光を現してくださるのだという事が信じられるようになったのです。
「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。・・・ だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」 (創世記45:5-8)

兄弟にエジプトに奴隷として売られたヨセフという人の言葉です。兄弟を恨み、人生を呪う事も出来たであろうヨセフでしたが、彼は神を見上げて全能の御手に自らの人生をゆだねて精一杯生きたのでした。やがて、彼はエジプトの総理大臣にまでになり、世界的な大飢饉の救済者として用いられるのでした。不思議な導きで兄弟と再会した時、彼は自分がエジプトに来たのは、兄弟に売られたからではなく、神に遣わされてきたのだと告白しています。彼の人生への姿勢がここに現されています。
私たちはどうでしょうか。すぐに不安になり、惑いの中に落ち込んでしまいがちですが、神の御手を信じましょう。私たちの人生を現実の事象だけで判断して一喜一憂しないようにいたしましょう。今まだ先は見えないかもしれませんが、神のご計画の中に導かれている事を信じましょう。人生を現実の点だけで見るのではなく、神の導きという線の中で捉えましょう。必ず神の導きにより、より素晴らしい道が示されるのです。
試練の中にあるとき、神のご計画を信じて、希望を持って待ち望むものとなりましょう。艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出すのです。そしてこの希望は失望に終わる事はありません。
 (プレイバック週報 2004年7月18日「牧師館より」 西田育生師)

 

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