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2025.03.16

「栄養ドリンク剤」

 

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:8)

 

先日訪問先の近くにある薬局に立ち寄りました。普段はほとんど飲まないのですが、少々疲れ気味でしたので栄養ドリンク剤を一本飲んでみようと思ったからです。ところがそのコーナーを見てビックリ。多種多様なドリンク剤が所狭しと並べられていて、選択に困るほどです。一本150円くらいのものから高いもので3000円を越えるものまであります。結局一番安いので済ませましたが、お店の人に聞いてみると結構高いものがよく出るようです。そしてこの業界も新商品が次々と出てくるそうです。
ここにも現代人のライフスタイルが反映されているとおもいました。仕事の複雑化、残業続きの仕事。いつの間にか疲労が蓄積します。サラリーマンの中には手っ取り早い方法で、疲労回復を図ろうする人たちも増えているようです。
しかし、確かに一時的にはがんばれても、根本的には、規則正しい生活習慣や食事の習慣の改善がなされなければならないのはもちろんいうまでもないことです。
私たちの信仰に対する姿勢はどうでしょうか。ちょうど栄養ドリンク剤を飲んで一時的な元気を得るような感覚で、信仰を捉えていることはないでしょうか。しかし、信仰は栄養ドリンク剤ではありません。確かに神様は弱った私たちを助けてくださいます。また、導いてくださいます。しかし、それだけのものではありません。
弱ったから教会にいく。助けが必要だから神を信じる。元気をもらうために神を讃美する。確かに、それは神を求める契機にはなります。また、信じた結果そのようなめぐみにあずかることができます。しかし、それは私たちを愛してくださっている神様との人格的な交わりがあるからこそ、そこから流れ出る祝福なのです。
もし神を信じる信仰がドリンク剤的なものならば、効かなくなればきっと他のドリンク剤、すなわち他の代替の宗教に移ってしまうことにもなるでしょう。しかし、イエスを信じる信仰とは、全人格を持って私たちに接してくださるイエスご自身に対して、こちらも誠心誠意込めてイエスに応答していく生き方なのです。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:8)
これがイエスの愛です。命をくださるほどの愛です。そして信仰とはこの愛に答えて生きることなのです。信仰は人生成功のための手段ではありません。私たちの人生をかけてイエスに従っていく。信仰の主体者であるイエスに私たちをささげて生きる。そこに、私たちへの驚くべきめぐみも与えられてくることを覚えましょう。神のご計画を知って、その計画の達成のために召されていることを覚えましょう。
このお方にあなたの生活をゆだねて生きるのです。それは片手間では出来ません。存在そのものを賭けて主と関わることです。あらゆる恵みの源はここから始まるのです。
(プレイバック2002週報7月28日『牧師館より』西田育生牧師)

 

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