第21号 2010年クリスマス号
Tokyo Good Newsは浅草「田原町」にあるキリスト教会東京ホープチャペルが、愛する皆さんにお届けする
「よろこびの知らせ」(=福音/Good News)です。
「Oh! Happy Christmas!」
2010年12/23(木)開催しました!!
「救いのパイプ」
先日のチリの鉱山落盤事故で閉じ込められていた33人全員が70日ぶりに
救出されました。その救出の模様はリアルタイムで配信され、世界中が固唾
をのんでその救出劇を見守りました。地下600メートルからカプセルに
乗って次々と救出されてくる人たちを目の当たりにし、愛する家族と再会し抱擁している姿は本当に感動でした。
今回の救出の成功は信頼の熱いリーダーのもとに1つにまとまることが
出来たからだと言われています。色々な軋轢を乗り越え、皆がひとつになり
励まし合えたのです。規則正しい生活を送ることを心がけ、礼拝と祈りを
欠かさず捧げ、希望をもち続けたのです。もちろん、地上で応援する人々の
励ましと助けによってこの素晴らしいことが起こった事も忘れてはなりません。
今回の救出劇を見ながら、私たちを罪の中から救って下さったイエスキリストの救いの業を連想させられました。まさに地下の暗闇に閉じ込められていたのが私たちです。どんなに地下で頑張ってみても、地下から地上に掘削して出て行くことは不可能でした。しかし、地上すなわち、天において神様は着々と救出のプランを立てられ、私たちの所に救いのパイプを通してくださったのです。そのパイプを通して下りて来てくださったのがイエスキリストでした。最後の一人が救出されるまで、一番最後まで地下に残って私たちの救いを完成してくださったのです。
そのイエスキリストは、2000年前、地上に我らと同じ姿をとって生まれてくださいました。それがクリスマスです。救いのパイプであるイエスを信じ、心からお迎えする時に、本当のクリスマスが訪れるのです。
「Being(ビーイング」
僕はどうして生きているの?僕がいる意味ってあるの?
僕は必要とされているの?
僕が死んだら悲しんでくれる人はいるのかな?
これを読んでいるあなたもこのような疑問を持ったことはありませか?あるいは今、現在、持っておられるかもしれません。そんなあなたに、神様からのメッセージを聞いて欲しいのです。
「私の目にはあなたは高価で尊い」と言ってくださる神様は、単なる言葉だけでなく、実際に命をかけて私たちを愛していることを十字架の上で証明してくださいました。
私たちの存在(being)は神であるイエス様が命をかけても惜しくないほどに大切な存在なんだよと言ってくださっています。本当にあなたがあなたらしく輝けるようにと神様自ら犠牲を払ってくださったのです。
私たちはこのメッセージを一人でも多くの人たちに伝えたくて、“Being”という、若者を対象にした活動を始めました。私たちが住んでいるこの社会は、「どれだけのことができるか」という能力によって評価されてしまう”Doing”(外側の行い)の社会です。時にそれはストレスとなり、周りとの比較が常となり、劣等感に陥ってしまうことにもなりかねません。
だからこそ、あなたの存在”Being”そのものが尊い、愛されているということを体験ほしいのです。この小グループがあなたにとって居心地の良い、ありのままでおれる、安心な場所にしたいと願っています。是非、1度のぞいてみてください。特に対象者は10代~20代の若者です。一緒に歌を歌ったり、聖書の言葉に励まされたり、時にはアウトドアの活動を楽しんだりしています。今のあなたがかけがえのない大切な存在だということを決して忘れないでほしいのです!
※Beingは、仲間との様々な交流を行なう若者のファミリーグループです。
毎月第2,4日曜日午後3時から詳しくは東京ホープチャペル内 植松喜(うえまつのぶ)まで。
「約束の言葉」
毎年、クリスマスになると、ぼくは何年か前に送られてきたカードの詩を読み返すことにしている。
もしも、ぼくたちにいちばん必要なものが知識だったら、神は教育者を遣わされただろう。
もしもぼくたちにいちばん必要なものが科学技術だったら、神は科学者を送ってくださっただろう。
もしもぼくたちにいちばん必要なものがお金だったら、神は経済学者を与えてくださっただろう。
だが、ぼくたちにもっとも必要なものは赦しだったので、神は私たちに救い主を遣わされたのである。
ぼくに送られたクリスマスカードには、明らかにされた約束と、ぼくたちが喜び祝わずにはいられない理由がしたためられている―。
神は私たちに救い主を遣わされた。
主は、私たちの似姿になってくださった。
私たちが主の似姿になれるように。
御使いたちは今も歌い、あの星は今も招いている。
主は、私たちのひとりひとりを愛してくださっている。
まるで私ひとりしか、愛しておられないように・・・・。
“ひとりの男の子が私たちに与えられる・・・
その名は「不思議な助言者、力ある神・・・平和の君」と呼ばれる“ イザヤ書9章6節
「コミュニケーション力」
最近、この言葉を盛んに耳にするようになりました。
就職においても、この点の能力の差が合否に関係するようです。
又、現代においては、情報の手段がコンピューターなどに頼ることが
多くなり、言葉におけるコミュニケーション力に欠けるようになった
と言われています。
しかし、 昔も今も、コミュニケーション力というのは、人間生活の
基本であり、多くの人間関係のトラブルは、このコミュニケーション
不足にあると言えるでしょう。
実際に離婚の第一原因は、コミュニケーションの欠如であり、結婚カウンセリングのエキスパートであるバージニア・サティア女史はこう言っています。「コミュニケーションは2人を覆う
傘である」と。
夫婦はどの程度の大きさの傘を必要とするのでしょうか。折りたたみの傘に夫婦が入れば、両方とも濡れてしまいます。2人では相当大きな傘でないと雨に濡れてしまいます。20年、30年経っても相手のことが深いところではなんにも分かっていない夫婦だっています。知るための手段はコミュニケーションにあるのですから、2人の覆う傘が大きければ多いほど2人の関わりは強まっていくでしょう。知ることを恐れないで、コミュニケーションを持つ時間をまず、見つけていきませんか?