ミッションレポート

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2011.03.31

「神の国の価値観」(2) - SERVANTSHIP(主のしもべ)の確立 -

 

主のみ名を賛美します。
2011年3月11日に東北、関東を襲った巨大地震と津波は一瞬のうちに多くの人命と生活を奪ってしまいました。この震災でご家族を亡くされた方々の上に神様の豊かな慰めがありますように。また被災され今なお避難所生活をしておられる皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
今回の大地震は、1995年に起きた阪神大震災(M7.3)の約180倍というとてつもない巨大地震で、政府の地震調査委員会の話によれば「貞観地震(869年)以来と言える過去1000年に1回起きるかという巨大地震」なのだそうです。その傷跡は今後何年もかけなければ修復できないほど広範囲に及んでいます。また、地震から三週間過ぎようとしていますが、福島第一原子力発電所の原子炉損傷と放射線漏れが収束せず大変困難な作業が続いています。
しかし、そのような中においても被災した方々への救援と復興に向けての動きが全力でなされています。電気、ガス、水道等と行ったライフラインの復旧が進み、救援物資を送るための高速道路や鉄道が回復しつつあります。私たちの教会も出来る事を精一杯させていただきたいと思います。レポートの最後に支援方法を記しておきますので、愛する皆様のご支援をお願い申し上げます。
さて、今回の地震は被災地域の人々だけではなく、日本全体を大きく揺り動かしました。特に、人の作り出したものは何と脆弱かと言うことを痛感させられます。日本が世界に誇っていた津波防止のためのスーパー堤防も今回の津波は破壊してしまいました。原子力発電所もしかりです。また千葉の埋め立て地の液状化による甚大な被害や交通機関のストップ。更には大量の帰宅難民の発生など都市機能の脆さが露呈してしまいました。私たちが安心、安全と言っているものが、実は砂上の楼閣のように壊れやすいものであることを改めて認識いたしました。
聖書は「決して揺り動かされることのないものが残るために、全ての造られた、揺り動かされるものが取り除かれる」(ヘブル12:27)と記しています。今回の地震を通して、私たちは決して揺り動かされないものが何なのかを深く考え、変ることのない神様への信仰を強くすることが必要であることを覚えたいと思います。簡単に流される砂の上に築くのではなく、岩である神の言葉の上に人生の土台を据えるようにしようではありませんか。
今回の震災で、家族や家を失い大きな喪失感を味わっている人々が沢山おられます。そのような方々が痛みと苦しみの中にあっても、なお生かされている意味を見いだしていかれるように私たちはキリストの愛を持って関わっていくことが求められているのです。実はその為にこそ私たちは神様によって召されているのであり、存在の理由と意味があるのです。
前回から神の国の価値観について学んでいます。私たちが身につける価値観の第1はLORDSHIP(主の主権)の確立についてでした。キリストこそが私たちの人生の主であり、このお方を人生の中心として生きる事の大切さを学びました。今回は「主のしもべ」(SERVANT)として生きる事です。すなわちSERVANTSHIP(主のしもべ)の確立です。特に今、日本は人々の生き方が揺り動かされています。今こそ私たちキリスト者が主のしもべとなり、主の弟子となって遣わされていく時なのです。


それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコの福音書8:34-35)
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコの福音書10:44-45)


Ⅰ今求められるキリスト者像―主のしもべ―
キリストがわたしたちに求められる生き方とは「しもべ」として生きる事です。しもべとは仕える人のことであり、時に奴隷と訳される言葉でもあります。しかし、人に仕えるよりも、人に仕えてもらうことを求めるのが私たちです。また、人よりも良い地位に就き、人よりも良い生活を目指し、人よりも一歩でも先んじようと思うのが私たちです。しかし、そこから生れる生き方は、人との競争であったり、他人との比較です。時にうまくいけば優越感に浸り、その反対に劣等感に陥ったりもします。人をねたましく思ったり嫉妬したりする心が芽生えます。いつの間にかぎすぎすした人間関係にもなったりもします。
しかし、イエスが示された生き方はそのような生き方から見れば真逆の生き方です。今回の震災で多くの人達が、助け合うことの大切さや、譲り合ったりする事の暖かさをどれだけ体験しているでしょうか。不自由な避難所生活の中でもジッと我慢しながら、逆に弱っている人を励ましていく人もおられます。そんな人の温もりが互いの人間関係を潤いのあるものにしているのです。
イエスが私たちに示しておられる生き方はまさにそのような生き方です。キリストはご自分の命を捧げて私たちにその愛を示してくださいました。ご自分を喜ばせることをなさらず、私たちのために仕える人となってくださいました。故に私たちも、主のしもべとなってキリストの愛を運び行く者として召されているのです。


Ⅱ主のしもべとなるには
 主のしもべとして生きる道はどのような道なのでしょうか。それは第一に「自分を捨てること」から始まります。それは自分の欲求や自分のしたいことや自分の願い事を横に置くと言うことです。それを第一にして生きないと言うことです。第一にするべきことは神のみこころであり神の計画です。自分の願いの中心に神が願われることを第一にしていくというように人生の優先順位を入れ替えることです。
私たちの信仰のあり方にもいろいろあります。信仰を自分の願望達成のための手段として考えている人もいます。そのような人はもしその願望が達成されなければ信仰から離れてしまう危険性があります。それは幼子の信仰です。成長したキリスト者の信仰とは神のしもべとなって、キリストが言われることは何でもYesといって従順に従うことなのです。それを学ぶ事は大きな訓練です。最初は戦いがあります。葛藤もあるでしょう。しかし、それを身につけたらそれは大きな喜びとなるのです。価値観が変わり、キリストのために生きることがどれほどの喜びであるかがわかるようになるのです。
今回の震災の救援のために自衛隊の人達が10万人動員されています。またアメリカ軍も多数被災地におもむき救援活動に当っています。救援のための必要な道具や機器、車両などを備えて最前線で活躍してくれているのです。多くの危険があるでしょうが、それらをもろともせずに向かっているのです。彼らは途中で止めたり投げ出したりしません。上官の命令に従って一糸乱れず動くのです。だから大きな助けとなり、それにより救援活動が進んでいるのです。もし自分勝手にやっていたのでは救援にはならないでしょう。同様に私たちもキリストの言わば志願兵となってキリストが言われることをよく聞いて従い行く者となりましょう。
第二は「自分の十字架」を負うことが主のしもべの道です。私たちが負う十字架とは何でしょうか。イエスは私たちの罪のために十字架にかかられました。私たちでは負いきれない罪の重荷を負ってくださったのです。それが故に私たちは救われました。ですから私たちが負う十字架とは他の人の重荷であり、キリストの十字架の愛を届けることに他なりません。私たちに与えられている使命ということにもなります。救いを受けた私たちが今度はイエスのように他の人の重荷を負ってキリストの愛を解き放っていく。その時に神の福音は伝わっていくのです。今がその絶好の機会なのです。
一昨年私たちの5月の連休に行なわれるバイブルフェロシップで御用をしてくださいました佐藤彰牧師の福島第一聖書バプテスト教会は福島原発の側に位置しています。そのため教会員全員が避難を余儀なくされ、忍耐の避難所生活をしておられます。しかしその中でも、佐藤牧師は福音に召されている牧師としてまた、主のしもべとして立っておられる姿に大いに励まされています。先生の報告に以下のようなことが記されていました。


 外は雪が降っています。何だか力が湧いてきました。神様は私たちの内に、冬が春に衣替えするように、よみがえりの回復力をプログラムしてくださっているような気がしています。被災してこの方、全国から届けられた物資で私たちは生かされています。肉こそ口にしていませんが、連日の缶詰メニューも、不思議にバラエティーに富み、豊かで、健康も保たれ、内側から復活の力が沸いてくる兆しを感じています。缶詰生活もなかなかいいものです。みなさんも、よかったらどうぞ。
それにしても私たちは、こんなに多くの人たちに支えられて、しあわせです。ここにきて少しずつ本気で、震災に遭遇する牧師として選ばれ、教会もあらかじめ原子力発電所の足元に置かれたのだと意識し始めています。そう考えられる、心の状態になってきました。明日から私は横浜、東京へ行き、予定されていた伝道集会や被災報告の集まりに行くことにしました。また、各地に散っている信徒を訪問しようとも考え始めています。・・・だけど、絶対に負けない。あきらめない。そう言い聞かせ、箱舟を一時離れ、必ずまた戻ります。

まどろむこともなく、眠ることもない主よ、留守の期間かえってこの群れを祝してください。そして、各地に散っているひとりひとりを、どうか抱きしめ、いつくしんでください。
(避難生活報告 その9   3月24日午後5時 より転記)


Ⅲ主のしもべに与えられる祝福
主のしもべ、主の弟子となって生きる歩みは決して単なる苦しい歩みで終わるのではありません。まことの命を得る道なのです。どれほどこの世の富に満ち、成功した人生であったと思えたとしても、まことの命、すなわち神の御国に入る永遠の命を失ったのでは意味がありません。しかし、キリストのために自らを捧げてしもべとして生きる時に私たちは神の御国の扉を開くことが出来るのです。「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。」(Ⅰヨハネ2:17)とあるとおりです。
キリストのしもべとなる人々を神は尋ね求めておられます。恵みをいただいている私たちはそれに甘んじるのではなく、今こそ今度は恵みを与える者として、世の光、地の塩となってキリストの福音を携え出て行く者となろうではありませんか。日本の救いは日本のクリスチャンの献身と犠牲にかかっていることを自覚いたしましょう。今こそ、神は呼びかけに答えて志願して立つ者を求めておられるのです。


私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)


いつもお祈りとご支援を心より感謝をいたします。今回の大震災の救援活動についてのご支援を皆様にもお願いをいたします。具体的な内容につきましては別紙をご覧ください。既に支援献金を送ってくださっている方々がいてくださり本当に感謝です。キリストの愛を具体的に実践する時にいたしましょう。
また、5月3日(火)~5日(木)の3日間の「信仰成長バイブルフェロシップ」は予定通り開催いたします。計画停電や震災の影響で交通機関が不十分かも知れませんが、今こそ私たちは一つになって祈り、互いに励まし合い、キリストの愛をいただいてしっかりと前に向かって前進をしていきたいと思います。ですから是非、兄弟姉妹、ふるってご参加をお願いいたします。今回は講師に大津バプテスト教会の浜崎英一牧師先生をお迎えして、伊豆の天城山荘にての開催です。
教会のライブ礼拝もユーストリームを通して見る事が出来るようになりました。東京ホープチャペルのホームページからアクセスすることが出来ますので、ご覧になってください。

愛する兄弟姉妹の歩みの上に、溢れるばかりの豊かな祝福がありますようにお祈り申し上げます。主に感謝しつつ。

キリストのしもべ       西田育生

 

  
       

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