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 ■使徒の働き 5/21/2023

 

するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。(使徒9:18-19)

 

弟子のアナニアがサウロ(のちのパウロ)の上に手を置き祈ると、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになりました。今までずっと目が見えず、闇の中にいたサウロでしたが、アナニアの祈りによって目が開かれたのでした。
彼の目を塞いでいたうろこのようなもの、それは彼の間違った信念であり、彼の無知さであったと言えるでしょう。見えていると思っていたが、実は全く見えていない。見えるように思わせていて、実は彼の目を塞いでいたもの。それがうろこのようなもので、彼の眼を塞いでいたのです。それが落ちて取れたのです。
彼は目が見えるようになりました。それは単に視力が回復したというだけにはとどまりません。以前とは全く違う見方ができるようになったのです。それはキリストによって救われた者の見方となったのです。
新しい視点、新しい生き方、新しい使命、それが見えるようになってきました。これこそ、生まれ変わったサウロに与えられた視点です。そして、キリストの迫害者から、キリストの宣教者としての真逆の歩みが始まったのでした。
その第一歩として彼は洗礼を受け、弟子たちと一緒に食事をし、数日間ダマスコでほかの弟子たちと共に過ごしながら交わりを持つこととなります。その交わりはキリストの弟子としての交わりでした。おそらく、弟子たちとの交わりを通して、自分がダマスコ途上で体験したキリスト体験、そしてアナニアによる祈りによる開眼。これからの使命。それらを理解したのではないでしょうか。さらには福音理解への目覚めです。イエスキリストこそが、旧約聖書で預言されていた救い主であり、約束の成就であることを信じるようになりました。今までの律法による救いから、キリストを信じる信仰による救い、神の愛と憐みの福音に目覚めたのです。自分の罪深さに気づき、キリストが十字架で死なれなければならなかったことが受け止められるようになったのです。
キリストを通しての視点が与えられたのでした。そして、この福音の使者として召されたのが自分であることに確信を持つようになっていくのでした。