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 ■使徒の働き 1/29/2023

 

ところで、以前からその町にはシモンという名の人がいた。彼は魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していた。小さい者から大きい者まで、すべての人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、『大能』と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。人々が彼に関心を抱いていたのは、長い間その魔術に驚かされていたからであった。(使徒8:9-11)

 

サマリヤの町にリバイバルが起き、町中にキリストの福音が広がりつつありました。大勢の人たちがキリストを信じ、洗礼を次々と受けていたのですが、その洗礼者の中にシモンという人がいました。彼は魔術の使い手で、彼自身も自分のことを「偉大な者」と公言し、その魔術で人心を掌握していました。人々はシモンに対して畏敬の念を抱き、彼の魔術に驚かせていたのでした。
 彼自身が「偉大な者」と自分のことを言っているところから、プライドの高い男であったことがわかります。また自分の魔術の力で人々の関心を買い、彼の信奉者を作るほど影響力が強かったことがわかります。
 しかし伝道者ピリポの働きを見て、自分の行っている魔術とは全く違う神の奇跡としるしを見たのです。ピリポの語る真理とそれに伴う奇蹟はまさに神の業でした。しかしシモンが行っている魔術はトリックがあり、種や仕掛けがあり、人をいわばだまして信用させているのですから、ピリポのそれとは全く違います。
シモン自身そのことを知っていましたので、ピリポの信じている信仰に対して大変な興味と関心を持ったのです。しかしそれは純粋な動機からではありませんでした。表面的にはまじめにへりくだって神を信じようとしているふりをしてはいましたが、何とかしてピリポが行っているような奇蹟の力を自分も欲しいと思ったのです。そうすればもっと人々の心をつかむことができ、自分の地位は高められ、人々は自分を神のように思うに違いないと思ったに違いないのです。この後に出てくる記事を見ればそのことがよく理解できます。

私たちも神様の奇跡や御業を見たいと思うなら、純粋動機で神を信じ、神に先ず従うものとなりましょう。自分のためにではなく、神の栄光のために自分の人生を捧げる事、そのことが一番大切なのです。その時神の御業があらわされるのです。