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 ■ルカの福音書 11/15/2020

 

民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」 (ルカ福音書23:35)

 

イエスが十字架につけられた時、その周りにいた人たちはどのような態度をとっていたでしょうか。ルカはそれを克明に記しています。
まず民衆です。民衆は「立って眺めていた」とあります。事の成り行きを見ていたのです。いろいろな思いが彼らの中にはあったことでしょう。「あれほど人々の期待を背負っていたにもかかわらず、十字架につけられる。どんな悪事を働いたのだろうか」「このイエスは、奇跡を行いや人を助けたが結局は十字架にかけられてしまったのか。やはり、メシアではなかったのか。」「かわいそうに。人を助けた人なのに。この世には正義はないのか。」など様々な思いを想像することができます。
しかし、「立って眺める」という言葉にイエスとの距離感を感じます。確かに、かわいそうにという思いはあったでしょうが、しょせんイエスの十字架は他人事で、十字架という公開処刑は、彼らにとっては見物に値する見世物にしか思えなかったのではないでしょうか。
一方、イエスを有罪と決めつけ、総督ピラトに訴えた議員たちは、あざ笑って言い合っていました。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」  議員たちの勝ち誇った声のように聞こえます。
「やっと厄介者のイエスを十字架につけることができた。これで平穏な日が戻る。自分たちの地位も安泰だ。結局、人は救ったが、自分はこのざまだ。本当にキリストなら、自分を救ってみろ。」そんなうそぶく議員たちの思惑が見えてくるようです。
イエスとの間にある距離感や壁、それはイエスを救い主として認めさせない障壁となっていたのです。結局彼らは神の救いの中に入ることはできませんでした。
私たちとイエスとのかかわりはどうでしょうか。距離感はないでしょうか。信仰生活をただ傍観はしていないでしょうか。あるいは思い通りにいかない腹いせをイエスにぶつけてはいないでしょうか。あなたとイエスのかかわり方が問われているのです。私たちとイエスとの間にある障壁を取り除くこと。それが神に近づくためには必要なのです。 

 

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