>>バックナンバー一覧

 ■ルカの福音書 10/18/2020

 

イエスは彼女たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るのですから。(ルカ福音書23:28-29)

 

刑場に向かうイエスの後から、群衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちがついて行っていました。するとイエスが振り向いて女たちに「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。」と言われるのでした。
彼女たちはイエスのことを痛み、嘆き悲しみ泣いていたのです。しかし、イエスの言葉はその女たちを一見突き放したような言葉のようにも聞こえます。このように言われたイエスの意図はどこにあったのでしょうか。
女たちはイエスの十字架刑を悲しみ泣いてはいるが、その涙はしばらくの嘆きであり悲しみです。やがて時がたてば、その悲しみは忘れ去られ、また日常が戻ってくるのです。イエスの十字架も、歴史の一コマとして覚えられることはあっても、自分自身のことではないのです。
しかし、イエスは「わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。」と言われて、女たちもすでに同じ苦難の中にいることを覚えて嘆くように言われました。他人事ととして悲しむのと、自分も同じ苦しみの中にあることを知って悲しむのとでは大きな違いがあります。しかもイエスは『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』という日が来るほど、その時の苦しみは大きいと言われたのです。その時に初めて、イエスの苦難の意味が自分のこととして自覚されることにもなるのです。
イエスの苦しみを自らの体験として共有する時、十字架の苦しみが他人ごとではなく、自分のこととして受け止められるようになるのです。十字架の意味は自らの体験を通して深められるのです。

 

>>バックナンバー一覧