◆主と共に生きる◆信徒の証し

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2026.01.25

■黙想エッセイ

 

私たちが心配し、憂える理由をイエス様は「信仰が小さいから」と正確に診断されます。憂いとは単に否定的な視点で見た否定的な思考です。そう見る態度から生じる傾向性です。信仰はこの傾向性の回路を変えることです。何で変えるのか?あらゆる状況を主権的に治められる方の「みことば」に従って、私の思考の回路を変えます。
むやみに信じるのではありません。聖書はロゴスから始まります。
人間の理性の出発点は「みことば」でなければなりません。神のみことばに従って回路が形成されれば問題ありません。この回路は一種のオペレーティングシステムであるOS(Operating System)にも似ています。コンピュータがどれほどスペックや性能が優れていても、WindowsであれMacであれOSがなければ無用の長物です。あらゆる知覚と認識と行動がOSで起こるのに、このOSがウイルスに感染すると本来の機能を果たせません。そうなればウイルスを除去するか、あるいはこのOSを消去して新しくインストールし直す必要があります。心配はまさにこのOSを感染させるウイルスのようなものです。根本的に心配や不安から解放されるためには、状況を変えるか、信仰を変えるか、どちらか一方を変えなければなりません。しかし状況を変える最も早い道は信仰です。信仰をもって対応する時、必ず状況が変わることを経験します。聖書に問い、聖書から答えを得る時、私たちの信仰は成長していきます。そして心配は次第に小さくなっていくでしょう。

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