◆主と共に生きる◆信徒の証し
2025.01.26
■黙想エッセイ
牧会者は共同体で葛藤が起こったとき、すべての信徒がキリストの御前に進み出るようにしなければなりません。問題ばかり見つめているなら、問題はさらに大きくなり、解決するどころか、もっと
複雑になっていきます。葛藤が起こったときの基本的な態度は、神様だけがこの問題を解決できるということを認めることです。しかし、一般的に教会は問題が起こると会議を開きます。役員が集まって話し合っても意見がまとまらず、問題を知らなかった人まで知るようになり、問題はさらに大きくなります。
私が仕えている教会には不文律のようなものがあります。「問題が起きたら神様に祈る」ことです。教会におけるリーダーシップの役割は、信徒たちが祈り、みことばにさらに親しむようにすることです。問題からキリストに視線を移さなければなりません。キリストを黙想し、キリストに尋ね、問題を解決されるキリストの方法を学ばなければなりません。キリストはすべての疑問に対する答えです。キリスト中心的な牧会をしていると、大きな問題は起こりません。キリストの御前に進み出れば道が開かれます。今日の最大の危機は、教会内にキリストの姿が見られないことです。
だれもキリストの代わりにはなれません。共同体全員にとってキリストだけが王となるなら、問題は自然に解決します。生活と牧会の場に最後に残るのは、キリストの尊い御名でなければなりません。キリストがあがめられることが結論とならなければなりません。