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2025.03.23

「最高のガイド」

 

「彼は全き心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。」(詩篇78:72)

 

昔、一人でアジア4カ国を旅行したことがありますが、現地で知り合った日本人数名と意気投合し、3カ国を一緒に周りました。その後、目的地が違っていたので別れて行動しましたが、私と同じラオスに向かう一人の男性と一緒にベトナムから陸路で国境を越えることになりました。バスのチケットを購入し、一緒に旅行していた方々との別れを惜しみながらバス乗り場に到着しました。私は小さめの観光バスをイメージしましたが、バス乗り場に停車していたのはハイエースのような車でした。さらに乗車する人は現地人しかおらず、観光客は私たちしかいません。夜行バスに乗車しながら、「果たして無事ラオスの首都まで到着するのか、途中何か危ない目に遭わないだろうか」と私は恐れと警戒心があってほとんど眠れませんでした。さらに朝方、国境に到着すると言葉が通じず、国境を越えるための手続きをどのようにしたら良いのか分かりません。気を揉んでいるとたまたま別のバスで国境を越えようとしていた日本人の方がおり、その方が教えてくれたため無事に手続きをして国境を越えることができました。結果的には何事もなく無事にラオスに到着することが出来た時は内心ほっとしました。私自身の情報収集不足は否めませんが、何よりも現地を知るガイドがいたら、どれほど心強いかとその時思わされました。

私たちの人生にも道しるべ、ガイドとなる存在が必要です。自分なりに人生のハンドルを握り、行きたい場所、進みたいところに向かって行きますが、ある程度の満足感を得たとしても、どこか確信が持てないことがあります。聖書にははっきりとイエス・キリストが道であると書かれています。そしてそのお方は私たちの魂の牧者であり、ガイドだと言っています。「彼は全き心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた(guide)」(詩篇78:72)。この詩篇の“彼”とはイエス様です。「全き心」とは誠実な心を意味します。イエス様は誠実で真実なお方なので、ご自身が私たちの人生の道しるべ、ガイドとなられるなら、最後まで誠実に導いてくださるお方です。さらに「牧し」とあります。牧する羊飼いとなって、羊であるご自身の民たちの世話をし、必要を与えてくださいます。また「英知の手」で導かれます。「英知」とは、神の知性や洞察力、思慮深さです。全地の隅々までご存じで、私たち一人ひとりの髪の毛の一本残らず数えておられるお方(マタイ10:30)は、ご自身の知性、洞察力、思慮深さをもってどのように導くかを知っておられます。ですからガイドであるイエス様に導かれるなら、それは最善の道と言えます。私自身も人生を振り返ってみると、イエス様の導きを感じます。時には「どうしてですか?」と思えるような道を通らされたこともありますが、後々で振り返ってみると私にとって必要だったと思わされることがあります。

イザヤ書30章21節にこのような御言葉があります。「あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを、あなたの耳は聞く」。私たちの羊飼いであるイエス様は、その方に導きを求めるなら、私たちが進む道をお示しになってくださいます。そしてイエス様の導きに従っていくのなら、その道は祝福の道であり、喜びの道です。もちろん試練や困難の中を通らされることはあるでしょう。でもイエス様が助けてくださり、逃れの道も備えてくださいます。「主の御手に頼る日は、いかに喜ばしき」という聖歌の歌詞があります。イエス様に導かれる人生は喜ばしく楽しいものです。イエス様に信頼して導かれる者となっていきましょう。

 

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