>>バックナンバー一覧

2023.09.24

「聖霊の促しに従う」

 

ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。 兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」(マタイ福音書21:28b~31)

 

大阪では10月の後半に大阪ホープチャペルの主催で、スティーブン栄子師を招いて特別集会を予定しています。その案内チラシを作成し、今、みんなで手分けをしていろいろなところに置いていただいたり、人々をお誘いするようにお願いをしています。 
ある兄弟は「私はあまり知っているところがないので、お役に立てるかどうかわかりません。」と言われていたのですが、後で知り合いの方から「あの兄弟は今一生懸命案内をしておられて4か所のキリスト教書店や関連施設に置いてもらったそうですよ。そして自分は20人は新しい人を誘って連れていくと言っていましたよ。」そう聞かされて、自発的に本当によく動いてくださっていることに感謝をいたしました。
「皆さんできるところでやってください。」そう言ってお願いしていたのですが、その兄弟は、自分でできることをやってみようと積極的に応答してくださったのです。最初は、戸惑いや、できるかなというような反応でした。でも、神様の促しを受けられたのでしょう。今は特別集会の為に一生懸命動いてくださっています。聖霊の促しに聞いて行くということはとても大切なことだと思わされます。
聖書に父親が二人の息子にブドウ園に行って働いてくれるように頼んだ話が出てきます。兄の方は「行きたくありません。」と言っていたのですが、後になって思い直して出かけて働いたのでした。
弟の方にも頼みましたが、弟は「行きます。お父さん」と言っていたのに、結局行かなかったというのです。イエス様は弟子たちに「二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」と尋ねられますと、弟子たちは「兄の方です。」と答えたというのです。このエピソードは救いから遠いと思われていた遊女や取税人、罪びとたちがイエスの招きに応じ、反対に神様に忠実で近いと思っていた人たちが、結局は神様の願っているように行動しなかったことの文脈で語られているお話です。しかし、同時に聖霊の促しに聞き、後で思い直して動くという意味として解釈することもできるのではないでしょうか。
人によっていつも色よい返事をする人がいます。やります。と言いながら、実際はやらない。動かないという人がいるのです。一方で、「難しいです。出来ません。」と言いながら、でも思い直してやってくださったり、動いてくださる方々もおられるのです。大切なのは聖霊の促しに応答して聞くということです。
最初は自分の思いの方が強くて、無理なように見えるのです。しかし祈っていると神様が細い小さな声で語られているように思えて、次第にその声が大きくなってくるのです。そして自分の思いではなく、神様のお声に聴いて行こうと思い直して動いて行くときに、神様の御業が起こってくるのです。

やり直すのに遅いということはありません。思い立ったが吉日です。聖霊の促しにしたがって、一歩踏み出していきましょう。礼拝に一歩踏み出す。祈り場に一歩踏み出す。証のために一歩踏み出す。そこに神様の御業が起こってくるのです。神様の細い小さな促しの声を聞いて行くものとなりましょう。

 

>>バックナンバー一覧