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2021.03.28

「イエスのように仕える」  ヨハネの福音書 13章1節—15節    西田育生牧師

 

今日から受難週に入ります。今日はイエスが平和の君としてろばに乗ってエルサレムに入場して人々に大歓迎された日で「パームサンデー(シュロの日曜日)」と呼ばれています。しかし、イエスはイエスに反対する者たちに煽動された群衆によって金曜日に十字架につけらてしまいます。
イエスは十字架につけられる前の日の木曜日に弟子たち一人ひとりの足を洗われました。「…世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された」(ヨハネ13:1)イエスの愛は「愛しぬく」「愛しとおす」「最後まで愛する」愛であり、中途半端な愛ではありません。イエスはイエスを裏切ったユダも、イエスを知らないと言ったペテロも愛されました。イエスの愛には分け隔てはありません。愛しぬくと言われたイエスの強いご意志が感じられます。イエスは弟子たちの足を洗うことでイエスの愛を弟子たちに表されました。神は私たち一人ひとりを愛しぬかれるお方であることを心に留めましょう。
イエスが弟子たちの足を洗い始めたとき弟子たちはとても驚きました。足を洗うことはしもべがすることだったからです。イエスが弟子たちの足を洗われたことには二つの意味があります。
第一はイエスが神のみ座を離れてこの地に来られたことの象徴です。これは「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました」(ピリピ2:6-9)という御言葉に集約されています。「…夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた」(ヨハネ13:4)のうち「上着を脱ぐ」とは神の子としての特権を手放すことで、「手ぬぐいを取って腰にまとう」とは仕える者の姿を取られたということです。また「…たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた」(ヨハネ13:5)のうち、たらいに水を入れて足を洗うとは罪を洗い清めるということで、手ぬぐいで拭くとは救いが完成することです。「水浴した者は、足以外は洗う必要はありません。全身がきよいのです。…」(ヨハネ13:10)とありますので、イエスが水によって罪を洗いきよめてくださったので足だけ洗えばいいようです。「イエスは彼らの足を洗うと、上着を着て再び席に着き…」(ヨハネ13:12)とは十字架で死なれてよみがえり再び神のみ座につかれたということです。洗礼によって全身がきよめられていても、毎日の生活で罪を犯します。そのたびに足を洗って、即ち、悔い改めて歩んで参りましょう。
足を洗う事の第二の意味は、互いに愛し合い、仕え合うことです。「主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです」(ヨハネ13:14-15)足を洗い合うためには越えなければならないハードルが沢山あることに気づかされることもあるでしょう。み言葉を聞くだけでなく、思い巡らして実践することでみ言葉が生きて来ます。どうしたら相手に仕え、愛し合うことができるかみ言葉に聞いていると、聖霊のうながしを受けるので応答しましょう。イエスは私たちの足を洗うことで仕え、愛し合うことの模範を見せてくださいました。「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず…」(ピリピ2:6-9)にはイエスの思いや決断、高いハードルを乗り越えたことを読み取ることができます。私たちにも神からのチャレンジが与えらています。神は真摯な方であられるので強制なさいませんがうながしを与えておられます。それを受け止めているでしょうか。
イエスが十字架に架かって死なれ、復活されたこの時に、愛し合い、支え合いなさい、というみ言葉を受け取ったうえで、これを実践することにチャレンジしましょう。イエスが足を洗って下さったように相手が喜ぶことを考えながらみ言葉に応答する者になりましょう。仕える姿勢、愛し合う姿はキリストの弟子の姿です。愛し合い、仕え合うことは、汗を流すこと、労苦すること、行動すること、時間を使う事、手間をかける事です。神に祈って示されること、あなたにできることにチャレンジしてみましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. 「極みにまで」愛されたイエスの愛を思い巡らしてみましょう。示されることを分かち合ってみましょう。
  2. 互いに仕え合い、愛し合うためにどのようなことにチャレンジしますか。

 

 今日の暗唱聖句

 

「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです」(マルコの福音書10章45節)

 

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