2025.09.07
「とりなしの力」 使徒の働き 12章1-5節 井上圭 伝道師
世の中には否定的情報が多く流れています。そんな中でどんな心で言葉を聞くのかが重要です。「信仰は聞く事から始まります。」(ローマ10:17)とあるように、耳にする言葉が神に喜ばれるかどうかを吟味して神のことばを優先しましょう。そうすれば、神は大きな御業をなして下さいます。
「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。」(使12::1 )この記事が書かれた頃は教会の絶頂期ではありましたが同時に迫害もありました。ヘロデ王は使徒達を投獄するのですが、いつの間にか出獄してイエスの教えを広めていた経緯があったのでペテロに対して厳戒態勢をしいていました。ところがペテロは脱出不可能な牢獄から脱出できました。どうしてペテロは牢獄から脱出できたのでしょうか。「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神に捧げていた。」(使12:5)当時のエルサレム教会の状況は危機的な状況で、ヤコブの殉教が起こりました。その一方で彼らは熱心な力強いとりなしの祈りを神に捧げた末に聞き届けられ、ペテロが牢獄から解放されたのです。ヤコブのは殉教しましたが信仰の証として後世に受け継がれ、ペテロは解放されましたが神の力と祈りの重要性を示すものとなりました。エルサレム教会は危機のただ中でした。地上の目には絶望的に見える状況でも天は希望の光をもたらしました。信仰と祈りは、どんな困難にも打ち勝つ力となり天に届くものなのです。神と教会のとりなしの祈りの共同作業によってペテロの奇跡の救出劇がなされました。
としなしの祈りは目に見えない悪霊に働きかけます。悪霊達を束ねているのはサタンです。サタンは「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)で 「盗人」(ヨハネ10:10)とイエスは言われています。サタンは日常生活の中で私たちに「滅ぼし、殺し、盗む」ように働きかけてきます。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)私たちは霊の戦いのなかに立っているのです。それに対抗するには聖霊の力が必要で、聖霊の力を受けるには祈りが必要です。「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」(エペソ6:18)自分ひとりの力ではどうする事も出来ない状況になった時にはペテロがとりなしの祈りによって脱出不可能な牢獄から解放されたように、一人で祈るのではなく、教会の誰かにとりなしの祈りをしてもらいましょう。とりなしの祈りには力があります。初代教会はとりなす教会、祈りの家族だったので迫害が強まる中でも祈らずにはいられませんでした。「…あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:19-20)教会は建物ではなく、交わって、とりなし、祈る私たち一人一人です。祈りの課題に神は答えて下さいます。様々な考えの人々がいる中で神の家族である私たちが一つになるのに必要なのは祈りです。イエスも人々と分かち合い、人々と一緒に祈られました。時には、とりなしの祈りが何になるのだろうか、と思うかもしれません。それでも信仰の目をもって祈り続けましょう。私たちは神の祭司として召されているのです。祭司の使命は祈りです。神はとりなし手を求めておられます。「…あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力になります。」(ヤコブ5:16)ここで「互いのために祈りなさい」とはとりなしの祈りのことです。とりなしをもって神の御前に出る時、神はとりなし以上の恵みで私たちに答えて下さいます。
聖霊は私たちの内側に働いてくださり、イエス・キリストは神の右の座に立ってとりなしてくださっています。イエスと一つになってとりなしていく所に大きな力が起こされます。私たちの想像を遥かに超えた神の御業がこの教会を通して、この日本の様々な場所に起こされる事を期待し共に祈る教会になっていきましょう。
≪分かち合いのために≫
- 日頃の祈りを顧みるなら、とりなしの祈りは何%ですか
- とりなしの証があれば分かち合って下さい。
今日の暗唱聖句
「ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。 正しい人の祈りは、働くと大きな力になります。」 (ヤコブの手紙5章16節)