2023.05.07
「豊かな実を結ぼう」
ガラテヤ人への手紙 5章16節-23節、24節―26節 西田 育生 牧師
今日 は母の日です。私たちにとって母親は唯一無二の存在です。私たち一人ひとりもかけがえの無い存在であり、しかもキリストにあって変えられ整えられ、それぞれ実の結び方は違ってユニークな存在です。パウロは御霊によって生きることと、肉の欲望によって生きることとが相互に対立していると言っています。
肉の欲望とは「・・・淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。」(ガラ5:19-21)であり次のように分類することができます。①性的汚れ(欲求)(淫らな行い、汚れ、好色)。②神ならぬものへの礼拝(偶像礼拝、魔術)。③争いと憎しみを拭い去れず(敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ)、そして④放縦な生活(泥酔、遊興)を送っていたのではないでしょうか。パウロは学歴や熱心さを誰よりも誇っていましたが、イエスに出会ってから自分の弱さに気づき今まで誇っていたものが何の意味もないことを知りました。私たちも同様です。「・・・神は『アバ、父よ』と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。」(ガラ4:6)とイエスを信じて神の子となりました。また「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。…」(ガラ5:1)と罪から解放され自由を得ることができました。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。・・・」(ガラ2:20) とキリストが私たちの内に生きておられるので、イエスを信じるなら豊かな実を結ぶように育ててくださいます。豊かな実とは「・・・愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制…」(ガラ5:22-23)です。
このうち「愛、喜び、平安」とは神との関係における実です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。…」(ヨハネ3:16)と神は私たちを愛して下さいました。その愛は全ての土台です。キリストにある喜びが隠そうとしても隠せず内から溢れ出てきます。しかも「・・・すべての理解を超えた神の平安が・・・」(ピリピ4:7)私たちを守って下さるのです。
「寛容、親切、善意」とは人に対して結ぶ実です。寛容とは「神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。」(コロサイ1:11)と神があなたの内に忍耐する力をくださります。親切とは「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。…」(エペソ4:32)とあるように人々へ愛を分かち合いたいという思い、隣人への愛です。さらに善意とは心がまっすぐな状態のことを言うのでしょう。
そして「誠実、柔和、自制」とは自分に対して築き上げられるキャラクターです。神が誠実であるように私たちも人に対して誠実になり忠実になることでしょう。「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり…」(ルカ16:10)と一つひとつ段階を追って向き合いましょう。柔和とは「・・・もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら…柔和な心でその人を正してあげなさい。…」(ガラテヤ6:1)のように相手に優しく諭すことです。そして自制とはself-control、自己管理です。「競技をする人は、あらゆることについて節制します・・・」(Ⅰコリント9:25)と、欲望を抑え、しなければいけない事をするように自分のことをコントロールする力です。
それでは、神に対して、人に対して、自分に対して実を結ぶ事ができるようにするためにはどうしたらいいでしょうか。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」(ガラ5:24)とあります。肉の欲望は捨て去ったと自覚し、キリストに結び付きましょう。そして自分自身を聖霊に明け渡しましょう。心を開いて聖霊に入って頂き、支配していただきましょう。Love and Obeyと言いますが、神を愛し、神に従いましょう。私たちには色々な葛藤があります。自分で何とかしようとすると上手く行かないものなのです。
古い自分を十字架につけてイエスに取り除いていただきましょう。弱い私たちは神の力に頼るしかありません。「私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(ガラ5:25) とあるように御霊の力に頼り、み言葉を実践する方法を神に問いながら日々、チャレンジして参りましょう。
≪分かち合いのために≫
- キリストを信じてから、どのような人格的変化があったと思いますか。
- 御霊の実を結ぶためにできることはどのようなことでしょうか。
今日の暗唱聖句
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
このようなものに反対する律法はありません。」 (ガラテヤ人への手紙5章22-23)