2024.09.22
「信じて見える世界」 ヨハネの福音書 9章6節-7節 井上 圭 伝道師
人は知っていると思っていても、知らない事、見えていると思っていても見えない事が多いものです。今日のメッセージのポイントは「すべての人はイエスを通してでなければ、真理を見る事は出来ない」ことです。
イエスは道すがら物乞いをしていた盲人に出会いました。「弟子たちはイエスに尋ねた。『先生。この人が盲目で生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。』」(ヨハネ9:2)この時盲人の周りにいた人々も彼に「罪人」のレッテルを貼って蔑んでいたのではないでしょうか。しかしイエスは愛をもって盲人のもとに来て声をかけて下さいました。「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。・・・」(ヨハネ9:3)イエスは盲人に神の業が現されるために関わりを持たれたのです。イエスを信じる者の人生にはいのちの光が与えられます。続いて「・・・『行ってシロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい』と言われた。そこで彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」(ヨハネ9:7)とあります。シロアム(遣わされた者)とはイエスのことです。このみ言葉を文字通りに受け取ると「イエスを信じたから見えるようになった」のであり「見えるようになったからイエスを信じた」のではないという信仰の奥義が書かれています。十字架の意味を知り、それを信じるなら永遠のいのちが与えられます。
「・・・地面に唾をして、その唾で泥を作られた」(同9:6)のうち「泥」とはこの地であり神がなされた「創造のわざ」です。霊的に死んだ人がイエスによって目が開かれたのです。現代でもこの盲人と同じように自分の価値を見出せない人が多くいます。イエスを個人的な罪からの救い主として信じれば心の目が開かれて、神が与えて下さる人生の存在価値、祝福、目的を知り、神の愛を感じ、体験する者へと変えられていきます。イエスだけが歪んだ心を整え、アイデンティティを回復することが出来るお方です。
「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます・・・」(Ⅱコリ3:18)「覆い」とは過去の傷、ゆがんだ価値観、世の中の悲観的な思いのことです。「覆い」が取り除かれると私たちも隣人も神に愛される価値ある存在と思えるようになります。イエスだけがあなたを回復する事が出来るお方です。
盲人は信じて行動したので見えるようになりました。イエスによって洗い清められれば、心に変化が起って真理が見えるようになります。物乞いをしていた盲人は悲観的な思いで自分を見ていました。けれどもそれは正しい自己認識ではありません。「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1) イエスを信じるなら誰でも真理を見るようになり、神を正しく見られるようになります。私たちはイエスによって罪、咎、心を洗い清められなければなりません。将来のことは誰にも分らず不安でいるでしょう。しかしイエスを信じることで望んでいることは保証され、まだ見ていない恵みについても確信させてくださるのです。私たちは神の子どもとされており、本来の姿で人生を歩み始めることができるのです。
「太陽はもはや、あなたの昼の光とはならず、月の明かりもあなたを照らさない。主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの輝きとなる。あなたの太陽はもう沈むことがなく、あなたの月は陰ることがない。あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。」(イザヤ60:19-20)天のみ国には太陽の光も月の光もありません。天の父が私たちを照らし続けて下さるからです。イエスを信じればその光があなたを照らし、目を開き、本来ある神の形としての輝きが取り戻されて、あなたの人生を力強く前進させて下さいます。
この盲人のようにイエスはあなたの所に来られて「神の栄光を現してあなたを見えるように創りかえる」と言われるでしょう。イエスに信頼しましょう。イエスこそが私たちの希望です。
≪分かち合いのために≫
- イエス様によって見えるようにされた事で、どのような変化がありましたか。
- あなたのメンタリティーは物乞いか、神の子どものどちらですか? 神の子どもとしてのアイデンティティに立つ上で、必要な事は何でしょうか?
今日の暗唱聖句
「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
(ヘブル人への手紙11章1節)