■使徒の働き 7/16/2023
さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。(使徒10:1-2)
ペテロの福音宣教が福音宣教が前進する時、神様は個人の信仰者を取り扱い用いることでその働きを遂行されることが多いのです。今回はコルネリオという人が神様に取り扱われ、異邦人宣教への門戸を開いていくことになります。
彼はローマのイタリヤ隊の百人隊長でした。ユダヤ人から見れば異邦人であり、ローマ人でした。そんな彼について聖書は「彼は敬虔な人で、家族全員とともに神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。」と記しています。彼は敬虔な人でした。すなわち神の存在を信じ、神を畏れ敬う慎ましい生き方をしていたのです。百人隊長の権威を振り回すことなく、また人を威嚇することなく、神の目に恥じない生き方を心がけていたのです。
また、「民に多くの施しをし」、とありますから、人々の必要を知って彼ができる施しをしていたのです。彼はローマ兵の中でも特異な存在で、ユダヤ人に対する憐みの心を持っていたことがうかがわれます。
さらに、「いつも神に祈りをささげていた」のでした。彼は毎日定期的に祈る習慣を持っていました。コルネリオは百人隊長が責任ある立場であることをよく知っていたので、神様の助けなしには務めることができないと考えていたのでしょう。神様と交わりを毎日忠実に持っていたのです。その祈りがあったからこそ、今回、み使いが彼に顕現し、ペテロが遣わされ、救われ、聖霊に満たされる道が開かれていくのでした。
私たちも日々の信仰の歩みを忠実に行ってまいりましょう。神様を信じる信仰が生活の中に現れていたコルネリオのように、私たちの生活も敬虔さを加えましょう。また、人々に仕えることをしたいと思います。キリストの愛は私たちの人々への奉仕を通してあらわされていくのです。人々は私たちの歩みを見て生きておられるキリストに目が開かれていくのです。その歩みは決して派手な歩みではないかもしれません。しかし、神様は私たちの歩みを見ておられ、神の働きに加えてくださるようになるのです。コルネリオを通して異邦人への宣教が進んでいくことになるのです。