「うしろのものを忘れ、ひたむきに前に向かう」
主のみ名を賛美します。
新年明けましておめでとうございます。愛する兄弟姉妹の上に神様の豊かな祝福がありますように心よりお祈りを致します。今年もどうか宜しくお願いいたします。
いよいよ2011年の幕開けです。真新しいスケジュール帳に予定を書きはじめるように、今年も様々な計画が実行に移され、一日一日が私たちの人生に着実に刻まれていきますようにお祈りいたします。
兄弟姉妹にとってどのような1年にしたいと願っておられるでしょうか。漫然と流れに任せて生きるのも一つの生き方かもしれませんが、しかし、期待すれば期待しただけのものを必ず得ることができるのです。特に、神を信じている私たちは、歴史の支配者である神の御手の中でこの1年が与えられていると信じているのですから、思い願いをはるかに超えて神の祝福があることを信じてまいりましょう。
先日、絶滅したと言われていたサケ科の淡水魚「クニマス」が富士五湖の一つ、山梨県の西湖で生息していることがわかりました。秋田県の田沢湖の固有種と言われ、70年前に最後に確認されて以降、姿を消しており、まさに70年ぶりの発見となりました。そのきっかけとなったのが、いつもトレードマークのハコフグの帽子をかぶっているタレントの「さかなクン」でした。天皇陛下からも名前を挙げて貢献をたたえられ、一躍時の人となりました。
12月29日の読売新聞朝刊社会面に、彼の記事が出ていました。彼は小学校2年の時、ウルトラマンと戦う巨大タコに興味を持ち、本物のタコを見ようと、魚屋や水族館更には海にまで足を運ぶようになり、興味は魚全体へと広がったのだそうです。その知識の豊富さは魚の知識を競う「TVチャンピオン」という番組で5連覇したほどで、そのキャラクターも人々に知られるようになりました。
2006年からは東京海洋大学の客員准教授にも招聘されたのですが、招聘した同大学の刑部(おさかべ)教授は、講演会後の顔合わせの時、わからないことを何度も尋ねる姿に舌を巻いたほどで「教員や学生にはもっと好奇心が必要。既成概念を打破するには、さかなクンの好奇心が必要だ」と思ったそうです。かつて同大学はさかなクンにとってもあこがれの存在で、入学したかったのですが「魚に熱中するあまりに成績が伸びずに受験すらできなかった」そうです。しかしその大学から教授に招聘されたのですから、人生とは不思議なものです。
クニマスの発見のきっかけとなったのは、長年交流のあった京都大学の中坊徹次教授(魚類学)から、イラストレーターとしても知られているさかなクンにクニマスの絵を描いて欲しいと依頼したことからでした。さかなクンはできるだけ忠実に再現しようと、参考に山梨県・西湖の猟師からヒメマスを届けてもらったのですが、その中に変った魚が含まれていることに気づき、中坊教授に連絡し、大発見につながったのでした。「クニマス再発見のニュースがこれほど感動を呼んだのは、さかなクンが魚に対してピュアな感情を持ち、感動を人々に伝える力があるからだ」と中坊教授は語っておられます。確かに、このさかなクンの生き方は私たちにも大きな励ましを与えてくれました。
聖書もわたしたちにひたむきに前に向かって進むことの大切さを教えてくれています。新しい年を迎えるにあたり、わたしたちも聖書からしっかりとした心構えを受け取り歩み始める者とさせていただきましょう。
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。(ピリピ人への手紙3:12-15)
Ⅰ一つのことに集中し励もう。
伝道者パウロは「ただ、この一事に励んでいます。」と語っています。私たちは人生の力を分散させないで、一点に集中させることが大切です。レンズで光を一点に集めれば紙や木さえ燃やすことが出来るように、私たちも「あれもこれも」から「このことは」というものを見出してそれに集中するようにすることです。パウロにとってのこの一事とは「キリストの福音を宣教する」ということでした。パウロは、アポロのような教師タイプでも、ペテロのような牧師タイプでも、ピリポのような伝道者タイプでもありませんでした。確かにある程度どれもこなすことはできたでしょう。しかし、彼の生涯を特徴付けるものは異文化の世界に教会を次々と生み出していく教会のパイオニア的な存在、「使徒的タイプ」であったと言われています。
彼は1カ所にジッとはしていませんでした。生涯で3回の海外宣教を敢行し、最後は囚われの身でローマに向かい最後の宣教を果たします。彼の宣教によって福音がアジアからヨーロッパ世界に届けられたのです。これが彼の使命であり、神が彼に願われたことだったのです。
私たちはどちらかというと平均的な人を求めがちです。ある程度なんでもそつなくできる人が学校や社会での評価が高いのです。ですからどうしてもそれに見合う人を求めてしまいます。もちろん基礎学力や基本的な社会の常識は必要でしょう。しかし、それらを求める余り結果として、ユニークで型破りな人が出にくい環境になっているのではないでしょうか。往々にして一見常識外れと見られる人や型破りな人が驚くべき発見や発明が成されていることを歴史は物語っているのです。確かに神様は一人一人をユニークな特別な存在として創造されました。みな人は違うのです。賜物も違えば、それぞれの役割も違うのです。それらが互いに補い合い支え合うのが教会なのです。
有限な人生を生きている私たちは、自分の力を最大限に発揮できるような、集中すべきものを見出して、エネルギーと時間をかけるようにしたいと思います。あれもこれもから「この一事に励む」ように致しましょう。周りの評価や人の意見に振り回されず、ひたすら神の示されることに集中するのです。それは必ず私たちに大きな祝福をもたらします。神の前にじっくりと祈りの時間を持ち自分の力をどこに向けるべきかを探り求めるものとなりましょう。
Ⅱ求道者の心を忘れない
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。」「私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。」とパウロは繰り返して「得たのではない」「完全にされているのではない」「捕らえたなどと考えていない」と言っています。求め続ける、追求し続ける。それがパウロの生きる姿勢でした。生涯かけて福音の為に生き抜いたのでした。
私たちも絶えず追求し、求め続ける「求道者の精神」を忘れないようにしたいと思います。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(Ⅰコリント8:2)とあるように、私たちはまだまだ知らないこと、わかっていないこと、極めていないことは数限りなくあるのです。ですから、「後ろのものを忘れ」とあるように、過去の栄光。過去の業績。過去の経験。などの縛りから解放されて、新しい思いで1年をスタートしていきましょう。
喜劇王チャップリンが晩年「あなたの生涯の中でどの作品が一番素晴らしいと思われますか?」と尋ねられて、「next one(次の作品)!」と答えたという話は有名です。まだまだ自分の最高の作品ではない。未だ改善するところや新しい事への挑戦を惜しまない、もっと先に素晴らしいものがあるのだ、と追求していく姿勢はパウロ同様私たちみなが求め続けることではないでしょうか。そのためにこそキリスト・イエスは私たちを捕らえておられることを忘れてはなりません。
Ⅲ神の栄冠があることを覚えよう
スポーツのランナーが走る目的は賞を得るためです。同様に私たちが一心に目標目指して走るのは「神の栄冠を得るために」走るのです。神が私たちの労苦に報いてくださるのです。ゴールのないレースを走るのは
疲れます。途中で嫌になります。ですが神はちゃんとゴールを用意しておられます。その先に神は私たちの走りにふさわしく栄冠を用意していておられるのです。それだけではありません。神は私たちが完走できるようにと聖霊様を送り、キリストは共に歩まれて私たちを励まし支えてくださるのです。一人孤独なレースを走っているのではないことを覚えたいと思います。私たちが信じている神は今も生きておられるのです。
昨年は、愛する兄弟姉妹のお祈りとご支援により支えられ共に主の福音宣教のために歩む事が出来ましたことを心より感謝いたします。皆様に心からお礼を申し上げます。
昨年は、宗教法人の設立認可を受け、新しい教会のスタートのような年となりました。締めくくりのクリスマスコンサートには700名を越える方々が参加くださり、大変祝福された集いとなり、広くキリストの福音を伝えることが出来ましたことを感謝いたします。
この新しい年は、「「キリストの愛を解き放つ教会」という使命をより一層遂行し、「3の300:3000ミッション」(300名の弟子養成、300のファミリーグループ教会、300のミニストリー(愛の奉仕活動)、3000名の愛し合う群れ)を目指し、そのためにキリストの弟子の養育・育成に全力で取り組んでいきたいと願っております。どうか覚えてお祈りください。
愛する兄弟姉妹のこの1年の歩みの上に、溢れるばかりの豊かな祝福がありますように、お祈り申し上げます。祈りのリクエスト2011年もどしどしお寄せください。主に感謝しつつ。
キリストのしもべ 西田育生