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NO.013  2010.5.31

「神に用いられるステップ」

 

主のみ名を賛美します。
天候不順続きでしたが、やっと気温も上がり始め、さわやかな初夏の季節となってきました。6月は1年の折り返しを迎える月でもあります。愛する兄弟姉妹の上に、神様の豊かな恵みによって大いなる祝福がありますよう心よりお祈りいたします。
この6月は南アフリカでサッカーのワールドカップが開幕いたします。日本も4大会連続出場と言うことでその活躍が期待されるところです。私も中学時代部活動でサッカーをやっていたこともあり、彼らの活躍を大いに楽しみにしているところです。
しかし、今回の岡田監督に率いられた日本チームについては、直前の親善試合で負け続けたこともあり、監督が掲げたベスト4入りの目標も高すぎるとか、様々な評論家やサッカーファンの声が聞こえてきます。 おそらく選手達は周りの様々な批判に対して敏感になったりしているでしょう。あまり周りの意見に気を取られすぎるとプレーが萎縮して消極的になってしまいます。大切なことは今までやってきたことを信じて、迷わず、全力でプレーすることだと思います。
 それは何もサッカーチームだけに限ったことではありません。同じようなことが私たちの周りにもよく起こってきます。誰でも評論家になる素質があるのではないかと思われるほど、私たちは他人のことには口を出したくなるのです。また、色々なことを言われると周りの評価を気にするあまり、周りの意見や態度に振り回されてしまう傾向があるのではないでしょうか。
 神を信じるキリスト者が第一に聞くべきお方は神様です。神のみこころは何か、何が神に喜ばれることなのか、御言葉を土台とし祈りつつ決断して人生を生きていく事が大切なのです。
旧約の出エジプト記には、イスラエル人を苦役から解放するために出エジプトを導いたモーセの働きが詳しく出てきます。シナイ山で神の召命を受けたモーセは当初、その使命を拒み続けました。自分にはそれは出来ない、無理だと神様に言い張ったのです。しかし神はそんなモーセに関わり続けられ、出エジプトのリーダーとして召して行かれました。私たちも神様の取り扱いを豊かにいただく者となりたいと思います。

 

モーセは主に申し上げた。「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれがおしにしたり、耳しいにしたり、あるいは、目をあけたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。 さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」
すると申し上げた。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」 すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう仰せられた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼がよく話すことを知っている。今、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぼう。(出エジプト4:10-14)


Ⅰモーセのこだわり
神様の語りかけの声を聞いたとき,モーセの心の中には今まで封印してきたエジプトでの苦い記憶がよみがえってきました。最初に神様が「私はあなたをパロのもとに遣わそう」と言われたときモーセは「一体私は何者なのでしょう」(出エ3:11)と応えてしまいます。モーセはエジプト人を殺したことで、パロの王に追われる身でした。モーセは犯した罪故に、神の使命を担う資格などあり得ないと思ったでしょうし、全く自信もありませんでした。ですから彼は神の呼びかけから何とか逃れようとします。世界中で行きたくない所を一つだけ挙げよ、と言われたらモーセは間違いなくエジプトを挙げたことでしょう。しかし、神様はそこに行けと言われたのでした。
そんなモーセを神様は「私はあなたと共にいる」と言って力づけ励まされました。しかしモーセはそれでも「誰があなたを遣わしたのか?と人々が問えばわたしは何と答えたらよいのでしょうか?」(出エ3:13)と言って逃げ腰を決め込みます。「彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。「主はあなたに現れなかった」というでしょうから」(出エ4:1) 「ああ主よ。私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」(4:10)  「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」(4:13)
 モーセは考えつく言い訳を次から次へと並べ立てます。彼は自分の失敗や欠点にばかりに目を留めて、神の呼びかけに応答できませんでした。彼がしっかりと握っていたのは神の約束ではなく、自分の弱さや愚かさばかりでした。それらを正直に認めて神に対して自分自身を投げ出せばよいのですが、それが出来ないのです。自分の失敗にこだわり、自分の能力のなさにこだわり、資格はないと決めつけて、安全な場所にいることにこだわっていたのです。
私たちもモーセのようなこだわりはないでしょうか。持つ必要もないプライドが自分自身の考え方を支配していないでしょうか。それに固執して、神様の導きと助けを信じることが出来ないということはないでしょうか。そんな状態にいると迷いと疑いの連続で、確信を持った生き方をすることは出来ないのです。神様にすべてをゆだね明け渡して生きるときにこそ新しい道が開けてくるのです。
先日教会で洗礼式が行なわれ、5名の方々が洗礼を受けられました。イエスキリストを救い主として信じ受け入れ、キリストを人生の主として生きていく信仰の告白をされました。それぞれに色々な過去を経験してこられた方々です。私も司式者として共に水に入り、一人一人を水の中に浸すごとに「この方の古い過去は十字架につけられて葬られました。今、キリストと共に新しい命によみがえられました。」と宣言をいたしました。洗礼はまさに自分が今まで握っていたものを主キリストにささげ、明け渡すことに他ならないことを覚えさせてくれます。私たちも握っているものを主に差し出そうではありませんか。

 

Ⅱ 神の愛と忍耐
何度も言い訳をするモーセに対して、神様は忍耐深く関わってくださいました。モーセの一つ一つの問い(言い訳)に対して丁寧に、しかもモーセにわかるように語ってくださったのです。「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」(4:13)とモーセの本音が出たときも「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。」と言われて、アロンが一緒に行くことも許されました。
これらのやりとりの中でにじみ出てくるもの、それは神様の深い愛と忍耐です。神はモーセを否定されるどころか、しっかりと受け入れ、関わってくださいました。モーセのことをモーセ以上に信じておられて、モーセが使命を受け止めるまで寄り添われたのです。何という神の深い思いでしょうか。
このモーセに対する神様の姿勢はそのまま私たちに対するものでもあります。イエスキリストの十字架がしめすように神の愛は捧げる愛であり、私たちを新しくする土台であることを憶えたいと思います。
もしこの神の愛と忍耐がなければ、また神が私たちを信じられることがなったならば、モーセは指導者として用いられることはなかったでしょう。しかし、神の主導によりモーセは変えられ遣わされていきました。この神が私たちを信じておられるのですから、私たちはあきらめることはないのです。このお方を信じて大胆に踏み出していくことが出来るのです。


Ⅲ ささげて生きることの素晴らしさ
モーセは自分のこだわりを捨てることで、神が開かれる人生の素晴らしさを新しく体験していきます。何度も大きな困難や試練に遭いますが、その都度モーセは神に問い、神の答えをいただいて、それに従って行動していきました。イスラエル人の解放のためのパロの王との交渉は10回を越えましたが、その忍耐 も自分の体験から学んだことが生きたのではないでしょうか。パロのかたくなさを肌で感じながら、辛抱強く交渉をしていきます。彼自身が忍耐の人に変えられたのです。
また、イスラエル人のわがままな態度にも彼は悩まされます。エジプト軍が攻めてくると、モーセに食ってかかり、食べ物がなければつぶやくし、水がなければ泣き叫ぶ始末です。まるで子ども同然の大勢の民を率いたモーセでしたが、涙をもって執り成しながら導いて行きました。
聖書は「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」(民数記 12:3)と彼の人となりを表現しています。この謙遜さこそが彼が神様に砕かれた結果身につけることの出来た人格ではなかったでしょうか。
神は同様にあなたを用いてくださいます。自分の力や能力では及ばないはるかに大きな働きを神は私たちに託してくださるのです。それは神様に自分自身を明け渡し、神の大能の力に頼ることによってのみ可能となるのです。

いつも兄弟姉妹のお祈りに感謝をいたします。5月の信仰成長バイブルフェロシップは大変恵まれた集いとなりました。遠くは郡山、松山、石川、大阪、広島から参加下さり本当に感謝をいたします。講師の小笠原牧師のメッセージも大変素晴らしく、大きな恵みをいただきました。そのメッセージはDVDとCDにまとめられています。DVDは3000円、CDは2000円でお分けしています。もし申込みたい方がおられましたら℡、FAX、メール、何でも結構ですからお知らせ下さい。
また、今まで礼拝メッセージをカセットテープとCDでお送りをしておりましたが、カセットの生テープを入手することが困難になりましたので、6月からはCDのみの発送となりますのでご了承下さいませ。
様々な証しが各地で与えられているようです。どうかその証しを事務局までお送り下さい。みんなで分かち合うことが出来れば本当に感謝です。兄弟姉妹の上に更なる神様の祝福がございますようにお祈りをいたします。祈りに答えてくださる主に心より感謝しつつ。

キリストのしもべ       西田育生

 

 
     
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