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NO.012  2010.4.30

「サーバントリーダーシップ」

 

主のみ名を賛美します。
今年は例年にない寒さで、新緑の季節も足踏み状態のようです。愛する皆様のところはいかがでしょうか。さて、ゴールデンウィークが始まりました。今年は高速道路が1000円の最後と言うことで、マイカーで出かける方も多いようです。せっかくの連休です。体も心もリフレッシュされる時となりますようにとお祈りいたします。

昨年の9月に民主党政権が誕生してはや7ヶ月が過ぎようとしています。発足当初の鳩山政権の内閣支持率は70%を越えていましたが、現在は22%にまで落ち込んでいます。クリーンなイメージで登場した政権は、政治と金の問題で出鼻をくじかれ、更には沖縄の普天間基地移設問題の混迷、長引く経済不況、民主党内の不協和音、また連立政権の脆弱性など問題ばかりが前面に出てしまっている感があります。税収の落ち込みなどでマニフェスト通りにはなかなかいかず、苦闘を強いられています。大きな期待と共に誕生した新政権だっただけに、国民の中に失望感が広がりつつあります。そんな中で、自民党から離党し、相次いで新党を結成する動きがあります。政局も風運急を告げると言った感があります。それぞれの思惑が絡んでこれから参議院選挙に向け政治も大きな動きがあるかもしれません。
このような政治混迷の中で、今問われている大きな問題は「リーダーシップ」ではないでしょうか。国の総理大臣がそれにふさわしくしっかりとしたリーダーシップを発揮してほしい。言葉だけの約束やその場しのぎの軽い言葉ではなく、この国の為に存在を賭けているという気概や指導力を発揮してほしい。多くの人達はそう願っているのだと思います。その人の影響力であるとか、その人自身から醸し出される誠実さや一貫性がその資質として問われているのではないでしょうか。
それは何も政治の世界に限ったことではありません。様々な世界でリーダーが求められリーダーシップが問われているのです。会社や家庭で中心となるべき人がしっかりとしたリーダーシップを発揮しなければその共同体は立ちゆけません。今の日本社会の混乱はこのリーダーシップの欠如にあると言えるのではないでしょうか。
また個人に於いても自分自身をしっかりと統御し、コントロールするために自分自身に対してもリーダーシップを発揮することが大切です。周りの環境や状況に流されて主体性を失ってしまうとき、大きな問題の中に埋もれて生きる事になってしまいます。
聖書はリーダーシップの宝庫ですが、聖書が教えるリーダーシップとはどのようなものでしょうか。また、キリストが示されたリーダーとはどのようなものだったのでしょうか。それは一言で言えばサーバントリーダーシップ」ということができます。「仕える者としてのリーダーシップ」とも訳すことが出来るでしょう。

 

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
(ピリピ2:6-11)

 

Ⅰ 特権を放棄する勇気
 イエスのリーダーシップは自ら進んで自分の持っている特権を放棄されたことに現わされています。聖書は神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、」と言っています。誰しも自分の持っている特権を手放したくないでしょう。むしろその特権や地位を利用して人を動かし、圧力をかけ、指示を与えるのです。しかし、イエスは神としての特権を放棄されたのです。高いところから、一番低いところへ下られ、人と同じになられたのです。それだけではありません。罪は犯されませんでしたが、罪人の一人に数えられ、私たちと同じようになってくださったのです。「神のあり方を捨てることが出来ないとは考えないで」という表現に神はそれを思い切って捨てられたという意志が現されているのです。
私たちは自分を守りたいし、自分の立場を手放したくはありません。しかしそこに固執していると私たちの行動は制限され、自分のために人を動かすようになるのです。人々の中に飛び込んでいく勇気、大切なことのために持っている物を手放す勇気。それこそが人を動かし人々の心を捕らえるのです。自分の体面やメンツを気にしていると思い切ったことは出来ないでしょう。しかし、それらをささげていく時新しい可能性が開けてくるのです。
同志社大学を創設した新島襄の「自責の杖事件」というエピソードは有名です。大学の2年生クラスの合併を巡って教師会の強引な決定に反発した一クラスの生徒全員が授業をボイコットし無断欠席をしてしまいます。無断欠席はもちろん校則違反でした。これに端を発して校則違反の処分を巡り大学と生徒側が対立してしまいます。そのとき、新島襄は朝の礼拝に集った学生達を前に杖を持って現れ、「罪は教師にも生徒諸君にもない。紛争の全責任は校長にあります。校長である私は、その罪人を罰します……。」彼はそういって、杖で左の掌をはげしく打ちつづけたのです。杖は三片に折れて飛び散ったそうです。しかしこの新島の自分を罰する態度に生徒や教師たちは強く心を打たれ、互いが謝罪し和解することが出来たのです。この新島の身を投げ打った姿勢に、生徒や教師達はより一層固い絆で互いが結ばれることになったというのです。まさにキリストの生き方に通じるリーダーシップではないでしょうか。

 

Ⅱ 愛による動機付け
ご自分を無にされたイエスの姿は、自分中心ではなく、神中心、他者中心と言えるでしょう。それは愛が発露となっている行為です。神を愛し、人を愛するが故に、「ご自分を無にして」人となられたのです。そこには愛に動機づけられた強い意志があったのです。
私たちの行動の契機となっているものは何でしょうか。自分にとって利益になるから動くということはないでしょうか。それともそうしないと嫌われるという恐怖心や義務感から行なっているのでしょうか。表面的には同じ行動であったとしてもその動機が問題です。愛による動機付けは時には効率よく行かない世界です。一見無駄と思われることに深い神の愛が現わされるのです。愛によって動く事は手間暇がかかります。当然、それに対する犠牲や代価を払うことも起こります。でもそれが愛なのです。
私自身がしばしば自分に問うていることがあります。それは「自分は果たして何を大切にして生きているだろうか」ということです。牧師として何を大切して行動しているか。優先事項は何か。それを自問しながら働くように努めています。スケジュールが詰まっていると、ついスケジュールをこなすことに重きを置いてしまいます。しかし、その傍らで大切なことや重要なことを忘れてしまっていることもあるかもしれません。自分の存在はキリストの愛によって価値あるものとされているという認識を土台にして、キリストの愛に生きるものになりたいと思います。イエスが歩まれたように、私たちも神を愛するが故に、周りの人達を愛するが故に、その愛を実践していくものとさせていただきましょう。

 

Ⅲ しもべとして仕える
イエスの生涯は僕(しもべ)として仕えられた歩みでした。「仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」とある通りです。僕、それはまさに『サーバント』と言う意味です。
最近、「サーバントリーダーシップ」という言葉が一般に使われるようになりましたが、その始りはイエスキリストからです。イエスご自身、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)と語られ、ご自分の使命を言い表しておられます。また弟子たちにも「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」(マタイ20:26-27)と言われて、しもべとして生きる事が神を信じる者の価値観であり、特に真のリーダーの資質であることを示しておられます。
仕える歩みというのは今までの価値観とは真逆かも知れません。誰よりも一番になれ、偉くなれ、人を引っ張っていくようになれ。そう多くの人が言われてきたかも知れません。しかし、イエスの歩みはその反対でした。これはナンバーワンの生き方ではなく、オンリーワンの生き方です。あなたならではの人生があることを覚えてください。この生き方は自分の力だけで出来るものではありません。キリストの助けが必要です。主に祈りつつ変えられる者となりましょう。
いつも兄弟姉妹のお祈りに感謝をいたします。宗教法人設立のためにお祈りをしていただいていましたが、4月7日に正式に東京都庁より宗教法人の認可がおりました。本当に皆様のお祈りとご支援に心より感謝を申し上げます。これを機に新たなる思いで福音宣教に邁進していきたいと願って下ります。人々の心にキリストの愛のメッセージを届けるために前進していきたいと願っております。どうか覚えてお祈りください。
5月の信仰成長バイブルフェロシップももうすぐです。次回はその様子をお知らせできるのではないかと思います。練馬グレイスチャペルの小笠原孝先生が御用をして下さいます。どうか、主の祝福をお祈りください。

 

兄弟姉妹の上に神様の豊かな祝福がございますように。祈りに答えてくださる主に心より感謝しつつ。

キリストのしもべ       西田育生

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