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NO.004  2009.08.30

「霊的無感覚を打破しよう」

 

主のみ名を賛美します。
秋の気配が感じられる頃となりました。新型インフルエンザの流行も危惧される中で新学期も始まりましたが、愛する兄弟姉妹も主にあって守られ、恵みの中に前進していかれますよう心よりお祈りいたします。
8月30日の総選挙は民主党の地滑り的大勝となりました。自民党は衆議院第一党から転落し、1955年の結党以来50年以上続いた自民党政治が終焉を迎えることになりました。これから民主党政権が誕生することになりますが、自民党に向けられた国民の厳しい目は、今度は民主党に向けられることになります。その国民の負託に答えて、今の日本の閉塞された状況を打破し、年金問題や税金の無駄遣い、福祉や不況対策や経済格差の是正、更には北朝鮮問題をはじめとする外交問題など山積する課題に対して大胆な変革を遂行していってもらいたいと願うばかりです。
それにしても自民党の大敗ぶりには目を覆うばかりです。いろいろなことが指摘されています。国民目線の欠如と問題意識の甘さ、官僚主導による政治の硬直化、派閥抗争などの様々な疲弊した状況等。それに対して国民は新しい風を求めた結果が今回の選挙に示されたのだと思います。

今回の総選挙の結果は、単に政治の世界のことだけではなく、組織の在り方について、また私たちの個人の生き方についても多くのことを示唆してくれているように思います。現状に流され、何年も同じ状況が続いているうちにその状況が当たり前のようになり、考え方や行動が習慣化し固定化されてくる。新しい動きに鈍くなり、問題を問題として受け取れなくなってしまうことが起こりうるのです。
聖書は「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)と語って私たちの心を守ることの大切さを教えています。目先のことに流されるのではなく、自分の心の状態、霊的な状態をしっかりと把握して神の前に出るものとなりましょう。
ではどうすれば私たちは霊的な無感覚さから脱却し、目覚めた状態になることができるのでしょうか。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。しかし、あなたがたはキリストのことを、このようには学びませんでした。 ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。
その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。(エペソ人への手紙4:19~24)

Ⅰ 真理であるイエスの前にいつも出よう。
私たちの行動の基準それは何でしょうか。この世の中では、その時代の価値観や流行などが人の基準になりやすいものです。特に、私たち日本人は人にどう見られているかを気にしがちです。それ故に私たちの行動基準が自分ではなく、人に言われたことに動かされて物事を決めてしまう主体性のない生き方になりやすいのです。
主体性の確立にはその柱が必要です。聖書はその柱となるべきお方がキリストであると言っています。キリストこそが真理であり、この真理なるキリストに聞き、キリストにあって生きることが求められているのです。キリストを信じることによって培われる聖書を土台とした価値観を私たちの生き方に定着させるとき、周りの動向に左右されない、力強い、キリスト者にふさわしい生き方ができるようになるのです。
よく、日本においてはキリスト者として生涯を生きる人たちが少ないといわれています。いつの間にか教会から離れ、キリストから離れてしまう。一説にはキリスト者の平均寿命が3年であるとまでいわれて います。その原因はイエスを信じるところまでは行くのですが、そのあと十分に養われないまま聖書の価値観が根付かない間に様々な問題が起こって教会から離れていくようになるのです。ということは逆に最初の3年、いや特に1年が大切だということです。聖書を読み、キリストに聞く生活習慣が確立されるならば今の実態とは違ってくるのではないでしょうか。神の御ことばに聞く生活が根付くには時間がかかるのです。絶えず神の前に出て、イエスに聞くように心がけようではありませんか。

Ⅱ 古い人を脱ぎ捨てよう。
今までに私たちが身に付けた古い習慣はすぐには変わりません。今まで当然のようにしてきたことが聖書に照らされるとき、それは間違いだったことに気付くことも多いでしょう。その気付きこそが大切なのです。それは恵みであり、祝福なのです。聖書は「人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと」を教えています。いつの間にか身に付いた古い生き方を脱ぎ捨てることが求められるのです。しかし、人の力ではそれは簡単にいきません。
闇の力がどれほど強力であるかは、今、芸能界を汚染している覚せい剤の問題を見てもわかります。始めた時は簡単な、些細なきっかけだったでしょう。しかしそこから抜け出すのは容易なことではありません。一人の力ではなかなか抜け出せません。隔離され、人の助けを受けながら脱却していくのです。
私たちに助け手として強力に働いてくださる方がおられます。それは聖霊なる神様の働きです。イエスキリストがこの聖霊様をとおして働いてくださるのです。この聖霊の助けなしには私たちは古き人を捨てきることはできないのです。そのことを自覚しつつ、聖霊様に助けを求め祈るものとなりましょう。 

Ⅲ 新しい人を身に付けよう。
古い人を脱ぎ捨てるだけでは十分ではもちろんありません。私たちが身につけるべき新しい人があるのです。この新しい人とは「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人」と表現されています。真理であるイエスを信じた者に与えられる神との義なる関係を土台として、神が願っておられるような姿に変えられていくのです。神が願っておられるような姿とは「キリストに似るもの」(Ⅱコリント3:18)へと変えられていくことにほかなりません。
これは日々のプロセスです。うまずたゆまず、キリストとの交わりを通して、キリストの歩まれたように歩むことを目指していくのです。人は触れるものに似ていきます。誰と交わるかは大切なことなのです。この世の欺きに満ちた生き方と触れるのではなく、キリストと毎日触れるのです。次第にキリストの新しい生き方が私たちの生き方の中に浸透してきます。それは人々を魅了し、大きな証しとなっていくのです。
かつて真珠湾攻撃の総指揮を執り「我、奇襲に成功せり」の暗号「トラ、トラ、トラ、」を打電した人として有名になった淵田美津雄氏はのちに、キリストを信じ伝道者としてその生涯を閉じたことで有名です。
敗戦を経験し、時の権力者によって価値観が変わることに失望していた時、二人の人が彼の生き方に大きな影響を与えます。一人は、アメリカの日本人捕虜収容所で、日本人捕虜の介護をした少女の話です。この少女の話は、彼の部下が捕虜収容所から解放された時に聞いた話でした。少女の両親は日本の宣教師でしたが、戦火の中フィリピンに逃れます。しかし、そこで日本軍に捕まり、スパイの嫌疑をかけられ、彼らは祈りの中で処刑されてしまいます。悲しみと憎しみに駆られた少女でしたが、両親が祈った祈りはどのような祈りであったかを考えさせられます。そうして両親は日本の救い為に祈ったことが示され、今度は両親の使命を果たすべく、捕虜収容所に出向いて、日本人捕虜の介護にあたったというのです。憎い敵国の捕虜のために祈り奉仕をする。一体これはどういうことだろう。そのことが理解されないでいるとき、今度は街角で一人の外国人に出会います。
彼はアメリカから来日した宣教師で、名はジェイコブ・デシェーザー。彼が人々に配っていた小冊子には「私は日本人の捕虜でした」というタイトルが付いていました。聞くところによると、彼は日本本土の爆撃機に搭乗していましたが、撃ち落とされ日本の捕虜となったのです。しかし、ひどい捕虜に対する扱いに日本人への憎悪が極に達していました。そんな時彼は聖書に出会います。キリストが十字架にかけられる場面を読んだとき、「父よ、彼らをゆるしたまえ。彼らは何をしているのか分からないのですから」と祈られたイエスの姿にくぎ付けになります。日本人を憎んでいるけれど、自分も同じような罪びとではないか。しかし、イエスはその私のために赦しを祈られ、十字架にかかられたのだ。そのことに目が開かれた時、彼はイエスを主と信じ、やがて宣教師となって再び来日していたのでした。
この青年の証しに感動した淵田氏は、聖書を購入しむさぼるように聖書を読みます。そうして彼もイエスの姿に強く心打たれ、イエスを信じて洗礼を受けるのでした。以来伝道者として、日本だけでなく、アメリカやアジアにまで宣教に出かけ、キリストの証人として用いられるのでした。
淵田氏はこのように二人のキリストに変えられた人たちの生き方に触れることにより、自らも聖書を読み、キリストに触れられ、変えられていったのです。私たちもキリスト絶えず触れ、キリストに倣うものとさせていただきましょう。

8月13日14日と日本福音宣教会の全国聖会が兵庫県のたつの市にある国民宿舎「志んぐ荘」で行われました。前週に降った集中豪雨で、JRの姫新線も一部折り返し運転の状況でしたが、最寄り駅の播磨新宮駅までは不通にならず、無事に開催されて感謝でした。そんな中300名近い方々が集い、主の豊かな恵みにあずかることができました。
「キリストが私の内に生きている」と題して3回のメッセージが語られ一同大いに恵まれました。もしメッセージテープをご希望の方は日本福音宣教会(TEL:089-925-1603 FAX:089-926-2785)までお申し込みください。
今年もあと4カ月です。ともに主の祝福に満たされてまいりましょう。証しの秋、伝道の秋です。豊かな実りを期待いたしましょう。
兄弟姉妹の歩みの上に主の豊かな祝福がありますように覚えてお祈りをしております。また祈りのリクエストを遠慮なくお知らせください。神様の圧倒的な祝福が兄弟姉妹の上にありますように。祈りに答えてくださる主に心より感謝しつつ。

            

キリストのしもべ        西田育生

8月2日に開催された「祭りナイト」

8月13日~14日全国聖会(兵庫県たつの市)

 

★松山ホープチャペルの紹介★           浅野 光章

 

この人は何をしに来ているんだろう?正直西田牧師(当時は伝道師か副牧師)の病室への訪問にそう感じていた。初まりは僕が25才、海水浴中に半身不随の大怪我をした時、友人の父親が『勇気づけてくれる人を紹介するよ』と言ってくれ、(故)万代恒夫牧師がいきなりやって来て、『君は明るくていいね。ワッハッハ・・・神様が守ってくれるよ』(すでに守られてないじゃん)『あとは西田君が続けて来てくれるから』(何しに・・・?)『頑張れよ』(そりゃ頑張るけど・・・)と言って風のように去って行った時からだ。今思えば神様からの使者。
 月に3~4回、聞かない礼拝テープが溜まっていく。さも聴いたように返す。病室で手を取っての祈り『浅野兄弟に希望が与えられますように』(身体が動かんなったら神頼みかよ。人に聞かれたら恥ずかしいやん)『どうか身体の機能が回復しますように』(もっと小さい声で・・・病院で神頼みはないやろ)身勝手で神をもおそれない生活のつけ(・・)でのケガにもかかわらず、そんな事ばかり思っていた。
 さすがに1~2年と続くと、この人はどういう人だろうと西田先生に対して親しみと和みを感じるようになった。この人の言っている事 してくれる事を素直に受け取ってみたいと思った。・・・がなかなか心からとはいかない。なぜなら私は物心ついてから西田先生に出会うまでに、西田先生のようなタイプの人(慈愛に満ちあふれた人)と親しく交わりを持ったことがまったくなかったからだ。むしろ正反対のタイプの人が多かったように思う。
・・・で4年間の入院後1998年10月30日 西田先生に喜んでもらいたくて、何か西田先生にお返しがしたくて受洗。(まったくお返しになっていない・・・)仕事を与えられ、結婚もさせていただき、2005年11月に住所兼オフィスを神様から預けていただき、一部を貸事務所に。2007年7月貸し事務所の契約解除。『さあどうしよう・・・。借金の返済には家賃収入は欠かせないのだが・・・』『誰に使ってもらおう・・・』『そうだ神様のご用のために使おう・・・いや使いたい』
西田先生に連絡を取り2007年9月10日松山ホープチャペルとして西田育生牧師の第一回目の集会を開かせていただいた。この秋から3年目に入る。20名動員を目標に祈りつつも毎月10~15名の参加にとどまっている。が毎回参加した兄弟姉妹には喜んでもらって、神様の祝福に満ちた集会になっている。
 毎回素晴らしい説教で心洗われ、心癒され、活力が与えられる集会を持たせていただいていることに心より感謝し、だからこそもっともっと多くの人に是非聴いてもらいたいと強く思う。
 
み言葉―『誰でも私についてきたいと思うなら自分を捨て自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。命を救おうと思う者はそれを失い、私の為に命を失うものは、それを見出すのです。』-聖書―
50才、この年に私に与えられた人生の目的。
祈り・・・「どうか神様の為に命を失うことをいとわない者へとこの私をお導き下さい、造り変えて下さい。」
み言葉―『私は神の力の働きにより自分に与えられた神の恵の賜によって福音に仕える者とされました』-聖書―
祈り・・・-「どうか私を仕事を通じ、またさまざまな所で福音(GOOD NEWS)を伝えられる者へと成長させて下さい」

皆様どうか2010年は集会参加者20名が定着しますようお祈り下さい。

 

■ 松山ホープチャペル 礼拝場所 
  〒791-2120 愛媛県伊予郡砥部町宮内394 アイペックエヒメ内           
  礼拝時間 毎月第二月曜日午後7時より

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