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NO.003  2009.07.31

「人生の基本形」

 

主のみ名を賛美します。
梅雨明け宣言も束の間、梅雨に逆もどりしたかのように長雨が続いています。西日本ではでは集中豪雨で被害を受けた所もあります。梅雨明けが8月までずれ込むところもあるようで、夏を通り越して秋が来てしまうのではないかとも書われています。皆様の所はいかがでしょうか。不順な天候の中でもでも神様の変わらない存在と恵みは消えることはありません。このお方を見上げて8月も前進してまいりましょう。
さて、異常気象とは関係なく暑い夏を迎えようとしている人たちがいます。それは先目解散した衆議院の議員の方々です。8月末の投票日に向けて熱い選挙戦の幕が切って落とされました。連日街頭に立ち、商店街を挨拶して歩く候補者の人たちの姿が目立ち始めました。
今回は政権が交代する可能性のある選挙になりそうでず。日本の国も大きな節目に来ているといえるでしょう。各政党もマニフェストを次々と発表しこれからの国の形を示そうとしています。ただ、国民の歓心を買おうとする余り、ばらまき感が否めません。選挙のために甘い支援や補助金の約束は多いのでずが、さてその財源はどうするのか。苦しいことは次世代に先送りをしてしまっているのではないか。そう思ってしまいます。
かつてアメリカのケネディ大統領がその就任演説で「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねるのではなく、あなたが祖国のために何が出来るか考えて欲しい」と語りました。そうして「人類の共通の敵」である暴力・貧困・疾病および戦争と戦うためにともに参加してくれるように自国民だけでなく、世界に向けてメッセージを発信していきました。
今回の総選挙に於いても、日本の国の形を明確にビジョンとして示し、そのために何をずるべきなのか、また、国民がどのような形で参画していけばよいのか、訴えかけてくるような政治家が求められているのだと思います。それが明確に示されるなら、人々も喜んで我慢するところは我慢し、共に未来の国づくりのために参加しようとする人たちも増えてくるのではないでしょうか。高齢化と少子化が進む中で、将来に向けての明決なビジョンと国の形を示す熱い政治家や政党の出現が待たれているのだと思います。
さて、政治家に求められているものは、政治家だけの問題だけではなく、私たち一人一人にも問われていることでもあります。私たちも、明確な人生の形を描いて、それを目指すことが大切なのです。神様が私たちを神の作品として創造されたのは、神様の明確な意図と目的があることを忘れてはならないのです。神様が救ってくださった恵みを無駄にしないで、その恵みに応答していくものとなりましょう。

 

      律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。 「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。
イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、カを尽くして、あなたの神である主を愛せよ。次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」 (マルコの福音書12:28-31)


一人の律法学者がイエスの話に感動し、このお方なら律法の中心メッセージが分るに違いない、そう思ったのでしょう、『全ての命令の中でどれが一番大切ですか?』とイエスに尋ねました。それは神様が私たちに願っておられる生きる基本形を問うものでした。それに対してイエスは明快に私たちの目指すべき生
き方を示してくださいました。

 

Ⅰ何よりも先ず、神に愛されていることを白覚しよう。
一番大切な命令というと、どうしても「心を尽くし、知性を尽くして…」という命令の方に意識がいきます。しかし、その前にイエスは『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。』と言われたことを忘れてはなりません。この言葉は後に続く第一の戒めの前提となっているからです。この節を理解して初めて、戒め全体の意味が理解できるようになるのです。
では、この節の意味は何でしょう。どういう意味で神は唯一の主なのでしょうか。それはイスラエルを愛されたという点に於いて唯一の主という意味なのです。
申命記7章6~8節にはイスラエルを選ばれた神の思いの丈が記されています。そこには神がイスラエルを「聖なる国民」とし「宝の民]とされた理由が記されています。その理由はただ、「彼らを恋い慕われたから」 「愛されたから」と述ぺられているだけです。そこには他の理由は何も述べられていません。更には何故愛されたかその理由も記されてはいません。そこに神の愛の本質が現されているのです。それは一方的な無条件の愛だということです。
神の愛は私たちのような条件付きの愛ではありません。見返りを要求するようなものでもありません。
ただ私たちをあるがままで愛してくださり、慈しんでくださっているのです。もちろん、その愛は単なる言葉とどまりません。行動する愛でもあります。神はその愛を具体的に示されました。モーセを遣わし、エジプト王に様々な奇跡を起こし、更には紅海を二つに裂きエジプト軍からイスラエルを救い導き出されました。ここに神の深い愛があるのでず。
更に神は新約に於いてイエスを通してご自身の愛を完結されました。『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。』 (ヨハネ15;13)このイエスの言葉通り、十字架に自らの命を捧げることにより、イエスはご自身の愛を私たちに示されたのです。先ず、この神の私たちへの愛が大前提にあることを決して忘れてはなりません。この愛を十分に受ける事が先ず大切です。キリストの無限の愛が注がれているのでず。それを溢れるばかりいただこうではありませんか。このキリストの愛が私たちを生かすのです。

 

Ⅱ神の愛に応答する人生を生きよう。
信仰は応答であることを覚えましょう。命令。戒めというと私たちの意志とは関係なしに、しなければならないこととして受け止めがちです。強制的なカを感じてしまい抵抗感を持ってしまいます。しかし、信仰の本質は神の愛に対する応答なのです。しなければならない事柄ではなく、神の愛に応えたいと願い自発的に応答することに他なりません。垂直的な神の愛が上から惜しみなく私たちに注がれるとき、その愛に応えたいと思うのでず。神が全身全霊で私たちを愛してくださった故に、私たちも全身全霊を持って答えたい。それが「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、カを尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という事の本質的な意味なのです。
私は高校生の時に信仰に導かれました。そのときの自分は非常に窮屈な生き方をしていたように思いまず。学校に行けば学校のルールがあり、社会では公共の倫理やマナーがありまず。しかし、同時に世間にはその通りには行かない様々な矛盾が存在しています。周りの人に対しては批判的になるのですが、同時に自分自身の中にも矛盾があって、葛藤し悩んでいた時でもありました。そんな時。友人に誘われて教会の集会に出席し、キリストの十字架の愛を知ったのです。私を無条件で 愛し、いのちを捧げてくださったお方がおられる。そのお方がイエスキリストだったのです。その愛を受け入れ、キリストを信じて以来、私は様々な自己矛盾から解放されていきました。
こうあらねばならないという意織から、神の愛に応えていきたいという願いが自然とわき起こってきたのです。義務や責任感以上にイエス様の愛に応答して生きることが嬉しくて、嫌々やっていたことも喜んで出来るようになっていきました。それは白分自身の力ではなく、キリストの愛の力以外の何ものでもな かったのです。神の愛に応えて生きる。これが私たちの生きる基本の姿勢です。それは喜びであり、感謝であり、生き甲斐でもあります。この神と私たちの垂直の関係こそが基本なのです。

 

Ⅲ 隣人に神の愛を流していこう。
十字架は縦と横の軸で表現されています。それを私たちの生きる姿勢そのものを表しています。神の愛とその愛に対ずる私たちの神への愛。それが垂直的縦の関係です。横の関係、それは隣人との関係、社会との関係、この世との関係です。どちらも単独で存在するのではなく、ワンセットなのです。神との関係を基本としてその応答が具体的に横に流れていくのです。
イエスは『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』と言われました。神の愛への応答は具体的に隣人への愛となって現されていきまず。ちょうど収税人ザアカイが救われたとき、誰も何も言わなかったのに、自ら立ち上がり、イエスに「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)と告白しています。イエスの愛に動かされたザアカイ は、彼が出来る事を申し出たのでした。こんな提案をすれば、彼の財産は無くなってしまう恐れがあります。でも彼はそうしたいと思ったのです。お金や財産にまさる喜びが、隣人への悔い改めと施しの行動となって表れたのでした。彼はキリストの愛に応答して生きる人に変わったのです。『今目この家に救いが来ました』とイエスが宣言されたとおりでず。
私たちも神からいただいた愛にどのように応答ずれぼよいだろうとどうか祈り始ゆようではありませんか。神様はあなたの賜物を用い、あなたならではの働きを備えておられるのです。十字架で示されている愛、そこに私たちの生きる基本を於こうではありませんか。

いつも兄弟姉妹のお祈りに感離をいたします。来る8月13、14目と日本福音宣教会の全国聖会が、兵庫県のたつの市の国民宿舎「志んぐ荘」で開催されます。年に一度の全国聖会です。今回は「キリストが内に生きている」という主題で開催されます。どうか皆様も検討くださり、ご参加されまずようお勧めをいたします。課しくはお問い合わせください。お会いできますことを楽しみにしております。
兄弟姉妹の歩みの上に主の豊かな祝福がありますようにお析りをしております。神様の働きが様々な形で前進しますように。また祈りのリクエストを遠慮なくお知らせください。神様の圧倒的な祝福が兄弟姉妹の上にありまずように。析りに答えてくださる主に心より感翫しつつ。

キリストのしもべ       西田育生

日本プロテスタント宣教150周年記念大会 2009年7月8、9日とおこなわれる。両日合わせて 1万5千人の人たちが集い、一致と日本宣教のために祈る。

ファミリーピクニック(7月20日)
秩父市長瀞(ながとろ)の渓谷での交わり

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