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現代に生きる新約

NO.882 2025.07.06

「聞く耳をください」  マルコの福音書4章21節-32節  井上圭 伝道師

 

今日の聖書箇所はイエスが多くの群衆に種蒔きの譬えを話された後の場面です。そこには「道端」「石地」「茨の地」「良い地」の四つの土地が出てきます。そして良い地に蒔かれた種だけが三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのですがそれは「みことばを聞いて受け入れる人」であり「実行に移す人」を指していると言えましょう。
今日の聖書個所には二つの譬え話が出てきます。一つ目は「明かりのたとえ」二つ目は「秤のたとえ」でありイエスはこれを通して神の国の豊かさ、つまり愛であり喜び、平安、義、自由、解放、その他言葉では言い表せないほど豊かなものを体験できる秘訣を教えてくれています。
まず明かりのたとえですが、升の下や寝台の下には置かない、という当たり前のことをおっしゃっています。誰もが一つや二つ、内緒にしておきたいことはあるでしょう。しかしここで「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。」(v22)とあるのは、イエス・キリストを信じ受け入れる人の内側には神の国が来てその豊かさがひとつ残らず明らかにされるというのです。ただし「聞く耳があるなら、聞きなさい。」(v23)とあるように、その聞き方次第で神の国の豊かさが変わってくるというのです。
次に秤のたとえですが冒頭で「聞いていることに注意しなさい。」(v24)とおっしゃっています。み言葉に関心や注意を向け慕い求める心で受け入れなさい、ということでしょう。次に「持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」(v25)と続きますが、まるで不公平のような内容なので、すぐには理解しがたい内容です。ここで「持っている人」というのは、み言葉を聞く耳のある人、み言葉を実行するような人でありその人はさらに与えられるのであり、しかし「持っていない人」とは聞く耳のない人、み言葉を受け入れない人のことであり、み言葉から離れると持っているものまで取り上げられてしまうのだと解釈できるでしょう。このように神の国の豊かさは、聞く耳のある人、実行に移せる人たちのものなのです。
続いて「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと…地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」(v26-29)とあります。地とは、この世界であり、また私たちの心の内でもあります。私たちの心に御言葉の種が蒔かれたなら、それを成長させ、実を結ばせるのは神の力です。「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」(イザヤ55:11)と神の言葉は人々のうちに届き、生き続けるというのです。
もう一つの譬え話としてからし種の譬えが続きます。「地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」(マルコ4:31-32)これは、神の国の始まりは人目につかないほど小さいものから始まるということです。幼子イエスが成長し、やがて12人の弟子を持つようになります。その数は日増しに増え、エルサレム、サマリア、ガリラヤ全土に拡がっていき、イエスの昇天後も神の国の広がりは収まることなく、東の果て日本にまで拡がっていったのです。ここでも「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(Ⅰコリント3:6)とあるように、神の力が成長させたのです。
ここで注意したいのは神の力だけあればいいのではないことです。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)とあるように私たちは神の国を持ち歩いています。私たちの言動が神の国を表す種でありそれが撒かれてこそ福音を宣べ伝えることになります。私たちを通して神の国に入る人々が起こされていくでしょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. 神様からご自分の秤に豊かに与えられたことがありますか。
  2. からし種のような拡がりや成長を体験したことがありますか。

 今日の暗唱聖句

 

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。 それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」 (イザヤ書55章11節)

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