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NO.017   2009.07.26

 ■夫婦の証    夫:加藤 晴由

 

一度二度話したことがある韓国の方が、「神学校に行きませんか」と勧めに来ました。聖書を学びたいという気持ちはありましたが、「大学を中退して三十年以上勉学とは遠ざかっている私には神学校は無理だ」と思い、断りました。しかし次の週、申込書を持って、また勧誘に来ました。目の前でイエス様に迫られているような気持ちになって、サインをしてしまいました。「それではお祈りしましょう」と言われ、嗚呼どうしようと思ったとき、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」というみことばが私の口から出て来ました。それで安心して神学校に行くことにしました。
神学校卒業の翌年に、誘われて結婚式の牧師を始めました。始めて見ると、「これは神様が私に与えてくださった天職ではないか」と思えるほど楽しい仕事でした。挙式の間、新郎新婦も列席者も神聖な気持ちで牧師の話を聞いてくれます。このチャンスに福音を伝えたいという思いで、キリストの十字架の愛を織り込めてメッセージを熱く真剣に語ってきました。
さて、メッセージは語る者の心に帰ってきます。1コリント13章4?8節の愛のみことばを朗読する度、「お前はそれを実践出来ているのか」と心に問われるようになりました。妻は韓国人で私たちは再婚ですが、大変仲がよい夫婦です。しかし、生まれ育った国の違い、家庭環境の違い、男と女の考え方の違い…これは地球人と異星人ほど違いがあるように思えました…、年が一回り(十二才)離れている世代の違い、色々なことで妻とぶつかり、
その度に、心の行き違いは大きく、収拾がつかない程になります。必然的に私はいつも必死で祈るようになりました。「私にはどうしようも出来ません。天のお父さん、私たちを助けてください」と。しかし、「必ず助けてくださるはずだ」という確信を持っていました。何故なら、イエス様を十字架につけるほどに私たちを愛してくださる神様は、私たちが最善の道を歩めるように…それがどんな答えだとしても…最善の解決を与えてくださるはずだと思っていたからです。
そんな中で、私の愛は条件付きであることに気付かされました。妻は○○でなければならないという、色々な条件が私の心にあったのです。それが折に触れて態度や言葉に出ていたのです。それで一切の条件を出さないようになりました。しかし、それでも夫婦の争いは収まりません。何が問題なのかもわからなくなり、私自身が悪いのだから、「古い自分が死んで、御霊によって新しく生まれ変わらなければならない」と思うものの、古い自分が死ねません。そんなあるとき、再び妻の心を傷つけ激しく怒らせてしまいました。妻から届いたメールに、「あなたの言葉は愚かで人を怒りに燃やす。あなたは価値がない者だ。」と書かれていました。それを読んだとき何故か聖書の言葉のように感じ、これは妻が書いたのではなく、妻を通して、神様が私に語られたことばだと思えたのです。こうして、漸く、自分は価値がない者であることを認め、古い自分が死ぬことに同意することができたのです。神様は最愛の妻を用いて私を砕かれたのです。

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