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NO.887 2025.08.17

「真の強さ」

 

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に 現われるからである。』と言われたのです。…なぜなら、私は弱いときにこそ、私は強いからです」 (Ⅱコリント12:9-10)

 

ある方が職場の人間関係のことで相談に来られました。就職して半年が過ぎようとしているので
すが,上司と折り合いが悪く、その人の前に行くと萎縮してしまうらしいのです。ストレスがたまり仕事が続けられないとのこと。
その上司は何かというとすぐ怒鳴るのだそうです。仕事の流れの件で仕事がスムーズになると思って提案しことがあるらしいのですが、頭ごなしに怒鳴られてしまったそうです。それ以来、何か話そうとすると拒絶されるのです。話が続かず高圧的に対応され、次第にその人の前ではものも言えなくなったとのこと。そんな状況ではストレスも尋常ではない様子でした。
話を伺っていて、その上司は、本当は自分自身に自信がないので、それを隠す為に威圧的になっているのではないかと思わされました。私たちは自分の痛いところを指摘されると当たっていればいるほど腹を立てることがあります。意外と自分の弱さを隠す為に、無意識に威圧的に行動してしまう場合があるのです。
スイスの精神学者のトゥルニエが次のような事を言っています。「強いこととは、自分の弱さを隠す為に、確信と攻撃という外見を装い,他人に恐れを感じさせる事によって自分の恐れを隠すのである。弱い人は強い人の強さが,仮面だとは知らずに、強さだと信じて圧倒されてしまうのだ」と。たしかに人は本来的に弱いので権威や強さを志向する傾向があるのです。しかし、このような強さは,弱さを隠す為の仮面に過ぎず、その場しのぎのものでしかないのです。
強くならねば、と言う意識が強すぎるあまり無理をしてしまったり,そうなれない自分に腹が立ったりするのです。 
しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(Ⅱコリント12:9-10)
聖書は私たちの真の強さは、弱さを自覚するところから始まると教えてくれています。キリストの力は私たちの弱さの内に完全に現れるのです。それを身を持って体験した人がパウロでした。彼は最初自分の強さに生きようとした人でした。しかし、強さに生きることの行き詰まりを体験した時、キリストの救いに目覚めたのでした。それ以来彼は強さではなく、弱さを自覚し、そこにキリストの力を求めるようになりました。そのときに本当の意味での強さを身に覚えたのです。
わたしたちも、見かけの強さに騙されないようにいたしましょう。真の強さは私たちの弱さの中に現れるのです。それがキリストにある強さです。弱い事を認めない自分の中の体質を自覚し、神の前に素直な心で出ようではありませんか。今日も神はあなたの弱さの内に完全に現れてくださるのです。
(プレイバック週報 2003年11月16日『牧師館』より 西田育生 師)

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