「オープンマインド (開かれた心) 」
「…『先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。』そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。」(ルカ5章4節-6節)
教会は人々の悩みを聴くところです。ですから、一週間の間に色々な相談の電話や来訪者があります。特に最近は電話帳やチラシ、本などからの相談の問合せがよくあります。時には一時間を軽くオーバーして相手が話される事を聴く場合があります。
つい先日も、込み入った会社の悩みや家庭の悩みを聞いているうちにこちらがイライラしてしまう体験をしました。自分の忍耐の無さに、聴く事は得意なほうだと思っていた自分の思い上がりを示されました。実に聴くということは大きなエネルギーと忍耐を要することを改めて実感した次第です。
お話を伺っているとその方が悩みの相談ではなく、自分の考えに同意を求めて話しておられることに気づく事があります。自分の中では既に結論が出ている。あるいは自分の考えでは既に進む方向性を出しておられる。そのことへの賛同を暗に要求される事もあります。ですからある一定の所にくると、そこから話が進まなくなるのです。
もちろん自分の考えを持っておりそのことを問う事は大切な事です。しかし、自分への同意だけを求めていたのでは相談にはなりえず、真の解決にはなりにくいと思います。
一つの自分の考えだけに固執せず、開かれた素直な心でカウンセリングを求められると随分と解決に向けた可能性が広がります。自分の考えは考えであるけれど、それは本当によいのだろうか。ほかに別にもっと良い方向があるなら、それをも視野に入れていきたい。そのような態度は、開かれた心であるがゆえに、多くの可能性が見えるようになるのです。
それは神に向かう姿勢にも必要な態度です。「シモンに、『深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。』と言われた。するとシモンが答えて言った。『先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。』そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。」(ルカの福音書5章4節~6節)
シモン・ペテロはイエスの網をおろせという言葉を聞きました。前の晩一匹の魚も取れなかった経験から、イエスの言葉を否定する事は出来たでしょう。自分の経験に固執し自分の意見を押し通すことも出来たかもしれません。しかしもしそうなら、たくさんの大漁の魚を手にする事は出来ませんでした。彼は開かれた心をもっていたのです。すなわちイエスの言葉に従い、イエスの側に立つ事を選んだのです。ここにこそ、祝福を選択する分かれ道があります。
自分を変えるということは神のみことばを選び、それに自分を合わせるということから始まるのです。あなたが聖書を読むとき、また礼拝のメッセージを聞くとき、開かれた心でみことばを受けとめてください。自分の考えを読み込まないようにいたしましょう。ペテロのように「おことばどおり」に行動するものとなろうではありませんか。
(プレイバック週報 2003年10月19日『牧師館』より 西田育生 師)