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NO.881 2025.07.06

「最善以外のものはくださらない」

 

「…『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。』」  (マルコの福音書14:34-35)

 

先週のバーベキュー会は、直前までの激しい雨にもかかわらず、ちょうどその時間帯は雨も止み、時折日がさし最後まで守られて楽しい時をもつ事ができました。またゴスペルグループの人たちも加わり打ち解けた恵みに満ちた交わりが与えられて感謝でした。横浜はドシャ降りだったそうですから、「私たちのところは神様によって守られた!」と参加された兄弟姉妹は口々に感謝しておられました。
確かに、天候が支えられてそれはそれで本当に感謝でしたが、しかし、もし反対に雨だったら
どうでしょうか。同じように感謝できたでしょうか。私たちはどうしても自分の願うとおりに事が運んで欲しいものです。願ったとおりになった時には神様に感謝をする事はたやすいでしょう。しかし、その反対の時にも私たちは同じように感謝できるものになりたいものです。もし、自分の願う通りにばかり事が運ぶとするならそれはある意味で危険な事です。いつの間にか高ぶりやエゴの虜になる可能性があります。私たちが願う事は、私たちの思う通りに行く事ではなく、神のご計画、みこころがなることです。このことを絶えずおさえておきましょう。

それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」 (マルコの福音書14:34-35)

イエスは十字架を前にした苦しみの中で「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」と祈られました。もしできるならイエスは十字架の苦しみから逃れたい、しかし神の御心は人々の罪の身代わりとして十字架につく事です。イエスは、血の汗を滴らせながら祈りの中で十字架を選び取っていかれたのです。そしてその十字架は全世界の人を救う唯一の道となったのです。
神様は私たちの全てを支配しておられるお方ですから、このお方の最善がなることをもとめましょう。神は私たちに最高のものを用意していてくださるのです。確かに、それはしばしば、私たちの思いや願いとは違っている場合があります。もし違っているならば、そこに神様のご計画や、私たちが通るべき道があるに違いありません。また、その違いを神は私たちに教えてくださるはずです。
もし、わたしたちが「神様は最善以外のものは下さらない」と信じ切る事ができるならばどんなことにも感謝をする事ができるはずです。あなたにとって辛い試練もやがて、それは思わぬ祝福をもたらしてくれるのです。この神の最善を受けとめるために、神の導きに従い、全てを神に感謝して生きるものとなろうではありませんか。
(プレイバック週報  2003年7月27日『牧師館』より 西田育生師)

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