「思い煩いに支配されるな」
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、…」(ピリピ4:6-7)

思い煩いを克服できたらどんなにか平安な毎日が送れるでしょうか。しかし私たちは色々と思い煩います。受験生を持つ親は子どもの受験や進学のことで、思い煩います。会社員は会社が安泰かと心配し、就職を求めている人は就職先のことで思い煩います。皆それぞれ思い煩う事は違うでしょう。でも思い煩いはなくなりません。いつの間にか思い煩う回路が出来上がっているのではないかと思うほどです。
思い煩う時の気持や体の状態はどうでしょう。気持いいでしょうか?すっとするでしょうか?もちろんその反対です。何か気が重くなり、不安が増幅され、ひどいときには動悸が始まり、胃が痛くなるときもあります。思い煩いうことは百害あって一利なしなのです。
けっして懸案事項を無視して、気軽にやれ、と言うのではもちろんありません。祈りの中に私たちは計画を立て,準備をすることが大切です。しかし、後は神様にゆだねて信頼しておくことです。ある人が言いました。思い煩う事柄の9割以上は決しておこらないと。よく考えてみればそうです。心配したことの多くの事柄は実際は起こらないのです。実際起こらない事柄をああでもない、こうでもないと私たちは悩むのです。
イエス様も「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。」(マタイの福音書6:31)と言われました。日常生活で私たちはどれだけのエネルギーと時間を心配事に使っているでしょうか。その時間とエネルギーがあれば、もっと建設的な前向きな計画と行動に時間が使えるのではないでしょうか。また、心配事で命まで削られてしまいます。私たちが思い煩いから解放され、喜びと讃美に満たされる生活に導かれることこそ神が一番願っておられることなのです。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ人への手紙4:6-7)
パウロは私たちに思い煩いから解放されるための処方箋を語っていてくれます。この聖書の言葉をしっかりと心にとめましょう。先ず私たちの中に祈りの生活を確立しましょう。自分の手の中で問題をいじるのではなく、祈りの中で、その事柄を神様に祈り、神に知っていただくのです。そして神が最善に導いてくださることを信じて、信頼してゆだねるのです。事ごとにこれを繰り返しましょう。思い煩わないで神の平安が覆うまで祈りつづけるものとなりましょう。
そして、「感謝をもってささげる祈り」とあるように感謝を集めましょう。すべてに感謝ができるようになるまで、感謝できる所から感謝をしましょう。感謝できないことも神の手にしっかりと握られていることを信じて感謝いたしましょう。神様が私たちを無条件で愛していて下さることを感謝しましょう。決して離れずいつも共に居てくださることを感謝いたしましょう。感謝は感謝を生み出し、平安を生み出し、確信を生み出してくれます。まさに感謝と讃美は力なのです。思い煩いから解放され、大きな恵みの中に導かれてまいりましょう。