閉じる

 

NO.386 2016.01.10

 「どんなときにも慌てない

 

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」 (ヨハネの福音14:1)

 

2016年がスタートして十日余りが経ちました。早くも世界では様々な事件が勃発したニュースが飛び込んできています。主なものだけでもイランとサウジアラビアの国交断絶、日本の安全保障をも脅かす北朝鮮の核実験の実施、フランスとエジプトでのテロ事件、世界情勢の不安定と中国経済の減速による世界的な株安などです。
その様なニュースに触れると知らず知らずのうちに、何とも言えない不安感が私たちを覆います。私たちの心はどうしてもマイナスの事柄に影響を受ける傾向があるので、まだ自分たちの上に困難なことが起こってもいないのに、恐れや不安に心が引きずられるのです。
確かに、危機感をもって困難な状況に備えることは大切なことです。漫然と何とかなるだろうと安易に生きることは決して得策とはいえません。しかしいたずら不安感に捕われることを神様は願ってはおられないのです。
イエスはご自分が十字架にかかられ弟子達から離れていくことを予期されて、弟子たちが不安に陥ることのないように、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と語ってくださいました。
心を騒がす必要のない根拠とは何なのでしょうか?イエスにとって十字架にかかるということは神様のご計画であり、イエスが通らなければならない道でした。つまり、十字架は神様の計画でした。
私たちの人生も同様です。神を信じる者にとって、起こってくるどのようなことも神の意味や意図があることを覚えたいと思います。すぐにはしっくりこないこともあるでしょう。なぜこんなことが神様の意図であり計画なのか理解できないということもあると思います。
しかし、神様は私たちの思いをはるかに超えて、神の計画とプランの中で私たちを導いておられるのです。ですから、まだ理解はできないけれど、後できっとわかるようにしてくださると信じて、神のみ手に私たちの人生をゆだねることです。
第二に神様に信頼して、イエスを見上げて生きることを心がけるのです。不安材料から目を離し、導いてくださるイエスに目を向ける。イエスの導きを信じる。神が下さっている人生にフォーカスを当ててキリストにある生き方に集中するのです。
一点を見つめて集中して生きるなら、慌てることのない生き方ができるようになるのです。特にキリスト者には聖書の御言葉が与えられています。どんな情報よりも、聖書の生きた御言葉の情報をしっかりと受け取りましょう。そして祈りに集中しましょう。聖霊の助けを求めましょう。神は私たちのために平安を与え、様々な困難の中でも、うろたえることなく堂々と生きることができるようにしてくださいます。神を信じ、イエスを信じましょう!  

閉じる