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NO.376 2015.11.01

 「毎日欠かしてはならないもの

 

望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。(ローマ12:12)

 

ニコライ・ルビンシティンという人はロシアの音楽教育家で、音楽学校をロシアに初めて作り、チャイコフスキーの親友としても知られています。彼に、ある音楽評論家が「毎日そんなに練習をしなくてもいいではないか」と聞かれたそうです。すると彼は「一日練習しないと自分がわかる。二日練習しないと友人がわかる。三日練習しないと聴衆がわかる。」と言ったそうです。然り名言です。
 私たちの信仰生活にも同じようなことが言えるのではないでしょうか。信仰生活に大切なのはまず第一に祈りです。祈りを毎日欠かさないようにしましょう。
祈りはキリスト者にとって、呼吸のようなものです。呼吸をするときやしないときがあれば、それこそ病気になってしまいます。ひどい場合には命の危険にも陥ってしまいます。ですから祈りについて聖書は「絶えず祈りに励みなさい」と語っています。また、すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)また「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)と勧めているのです。あなたの生活に祈りを定着させましょう。
とりあえず目指す祈りの時間は1時間です。一時間祈れるようになると信仰によって見る世界が変わってきます。ビルの屋上から見える世界と、スカイツリーから見る世界、飛行機から見える世界、人工衛星から見える世界、それぞれに大きな違いがあるように、祈りの生活が定着すると、問題を見る目の位置が変わってきます。祈れば祈るほど、神様が働いてくださると確信をもって信じることができるようになるのです。ですから、1時間祈れるようにチャレンジしましょう。祈りの課題を書き出し、テーマ別に祈るのも大切な工夫です。
また、祈りを濃縮して祈ることも大切です。1時間という時間の長さにとらわれすぎないで、30分熱く、叫び祈ることも大いに力となります。イエスはゲッセマネの園での祈りの中で「汗が血のしずくのように」落ちるほど祈られました。ですから、熱く叫び、熱心に祈るとき、私たちの心は聖霊に触れることができるのです。
また、もう一つ信仰生活に欠かせないものに聖書の「みことば」があります。み言葉を毎日読み、心に思い返し、み言葉に聞く生活を定着させましょう。友人の牧師先生が言われていた言葉を思い起こします。「私が信仰から離れそうになったとき、私の生命線となったのがディボーション(黙想の時)でした」と。人生の試練の中で、神のみ言葉に支えられ、窮地を脱することができたのです。

 

聖書は「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)「 みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブ1:21) 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(Ⅰペテロ2:2)と語っているとおりです。礼拝に来てともに祈り、み言葉で支えられ、聖霊の助けをいただき、毎日キリストと交わり生きるものとなりましょう。あなたのことはあなた自身が一番知っているはずです。神の助けをいただきながら、日々の祈りとみ言葉にチャレンジしてまいりましょう。

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