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NO.371 2015.09.27

 「種を蒔き続けよう

 

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
夜は寝て、朝は置き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
(マルコ4章26節-27節)

 

先週の月曜日に千葉県匝瑳市で滴礼による洗礼式が執り行われました。受洗されたのは来年2月でちょうど100歳になるという真田カツというおばあちゃんです。カツさんは私たちの教会員の真田義博兄のお母さまで、匝瑳市の老人ホームに入居されておられます。真田義博兄の奥様の嘉江姉妹や娘さんの裕代姉妹の熱心なお祈りと証しにより、カツさんもイエスを信じる決心をされておられたのです。
「天地宇宙を造られたまことの神を信じますか?」「はい、信じます」「イエスキリストの十字架によって罪赦され救われていることを確信しますか」「はい、確信します」
はっきりとした信仰告白をされ、一同深い感動を覚えました。本当にカツさんはイエス様を信じて、救われておられるということを改めて確信いたしました。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)とあるとおりに、口で告白して救われたのです。
このおばあちゃんの救いの背後には長年にわたるご家族のお祈りと証しがあったことを忘れてはなりません。同居しておられるときも、ホームに入居されても、毎日のように尋ね、証しし、祈ってこられた結果が実を結んだのです。
特に日本で伝道をするときにはこのような忍耐の祈りと証しの継続が必要です。ちょうど種を蒔くようなもので、蒔かれた種が時間をかけて芽を出し成長していき、やがて実を結ぶようになるのです。
すぐに芽を出さないからといって種を掘り出していれば実を得ることはできません。種を蒔き、水をやり、雑草を取り、忍耐しながら育てていく。時間がたてば必ず芽を出し、実を結ばせるということを確信していたので、農夫は忍耐し待ち続けたのに違いありません。同様に福音も忍耐ののちにこそ喜びの果実を手にすることができるのです。
あなたの家族に福音は届いていますか。特に身近な人は、知っているだけに、証しがしにくいと感じることもしばしばあるでしょう。しかし、あきらめないでください。考えて見てください。自分が救われるためにどれだけの月日とクリスチャンの忍耐と祈りがあったことでしょうか。いつの間にか、自分の救いは当たり前のように感じてしまってはいないでしょうか。誰かが忍耐して祈ってくれていたことを忘れてはなりません。高ぶった心で神など必要ないとうそぶいていた時も、私たちの不信仰な言葉を聞き流して、辛抱強くキリストの愛を伝えてくれた人がいたことを主に感謝をしなければなりません。クリスチャンの友の祈りと忍耐があったから、救われたことを深く覚えたいと思います。
今度は私たちが種を蒔く番です。忍耐をしながら種を蒔き続けましょう。時が来れば、必ず実が結ばれるのです。良い地に落ちた種のように、芽生えて、ぐんぐん成長し、豊かな実を結ぶようになります。あなたの家族が救われていることをイメージしながら祈り続けるものとなろうではありませんか。

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