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NO.360 2015.07.12

 「器を用意しよう!

 

器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」
子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。  (Ⅱ列王記4:6)

 

http://static.goal.com/1616800/1616872_heroa.jpg女子サッカーのワールドカップが開催され、なでしこジャパンは惜しくも準優勝でした。日本中がその活躍ぶりに歓喜しました。しかし、決勝では体格差に勝るアメリカの怒涛の攻撃にさらされ、開始15分で瞬く間に4点も入れられてしまい、落ち着く間もなく、アメリカの攻撃に圧倒されてしまいました。
アメリカは日本の組織サッカーをよく研究していました。特に4年前の決勝で負けてしまった悔しさのリベンジとばかり、並々ならない勝利への執念があり、それが結果となって出た形となりました。
もちろん、日本も油断していたわけではありません。しかし、日本チームは予選から比較的戦いやすいチームとの対戦で、世界のトップチームとは決勝で当たる組み合わせでした。決勝のアメリカはそれまで戦ったチームとは格段にレベルが違っていたようです。
すでに、なでしこチームも新たな挑戦を目指して、練習をスタートいたしました。メンバーもこの敗戦を通して、まだまだ上には上がいると思ったに違いありません。この悔しさをバネに、さらにレベルアップをし、次回の大会では優勝目指してチャレンジしてもらいたいと心から願っています。
さて、私たちの信仰の歩みもたゆまぬ歩みであることを忘れてはなりません。神と更に親密な関係を保ち、聖霊の助けを求め、御言葉と祈りを通して成長を目指していく。これが、私たちの日々の信仰の歩みにほかなりません。もうこれでよい、十分だと思ってしまい、祈りもせず、聖書を読むこともなくなってくると、私たちの歩みは停滞することになります。
旧約聖書に預言者エリシャが預言者仲間の死後、家族の窮状を救った話が出てきます。遺された家族は、借金の形(かた)に二人の子供を奴隷に取られ、離れ離れになる危機を迎えていたのです。エリシャは、彼らの苦しみを知って、助けようとします。彼は隣り近所から空の器をあるだけ沢山借りてくるように命じます。そして借りてきた器に油の壺を注ぎ始めると、なんと油が次々と満たされていくではありませんか。母親は部屋中一杯になった器を見ながら、「もっと器を持って来なさい。」と言うと子どもは「もう器はありません。」と言うと油は止まったというのです。 彼らはそれを売って借金を払い終わり、残ったお金で生涯暮らしていくことができたのでした。
器を用意したぶんだけ油が注がれました。もう器はありませんと言ったとたん油は止まったのです。これは象徴的です。私たちも空の器を用意しなければなりません。空の器とは、私たちの賜物を更に活用し、用いることであり、また、自分自身が祈りの器となることです。また御言葉に従う器になることでもあります。もうこれで十分と慢心したり、あきらめてしまわないようにしましょう。私たちにはまだまだ多くの伸びしろが残されています。新たな信仰のチャレンジに向かって一歩踏み出しましょう。空の器を用意すればするほど、そこには神様の聖霊の油が注がれてくるのです。

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