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NO.356 2015.06.14

 「色眼鏡

 

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 
(ローマ人への手紙8章28節)

 

「色眼鏡で人を見るな」とよく言われます。自分の思い込みや偏見で人を見ないようにということでしょう。しかしそれは言葉で言うほど簡単ではなく、皆それぞれ自分の色眼鏡を持っています。今まで育った環境や体験が、自分のそれぞれの見方を作っているのです。もちろん肯定的に人生を見るようなメガネなら良いのですが、否定的に物事を見る習慣になっていると、自分自身の人生がその色眼鏡で束縛されることになってしまいます。
信仰についても同様です。日本人の中には「触らぬ神に祟りなし」という表現があるように、神様について深くかかわらないようにという風潮があります。また神はたたり(祟り)をもたらす恐れの対象として捉えることが多いのではないでしょうか。かかわると面倒なことになる。眠っている子を起こすな。そんなイメージを持っている人も多いかもしれません。
以前教会に来られた方に、「神様は天の父なる神様ですよ。」と説明したことがありました。ところがその方は「天の父」と言う表現に引っかかってしまいました。神様が父のような存在なら私は信じたくないと言われたのです。お話の中で、小さい時から父親は問題ばかり起こす人で、抱いてもらったこともなければ、優しい言葉をかけてもらったこともなかったそうです。父がいないと家は平和なのですが、帰って来ると家の中がいっぺんに緊張感が漂い、父親が暴れないでいてほしいとばかり思っていたそうです。いつしか、この家から父親がいなくなれば良いと思うようになったとか。
そのイメージで神様を捕えてしまうので、父なる神というとそれだけで心がざわざわし、居心地が悪くなるような感じを持ってしまうとのことでした。そこで私は、「天の父なる神様は、私たち人の親のような父ではなく、私たちを愛し、抱き、慰め、励まし、私たちが幸せになることを絶えず願っておられる方なのですよ。」とお話をし、親替えをしましょうとお勧めをし、お祈りをいたしました。
しばらくして、「天の父なる神様と言っても、ざわつかなくなりました。むしろ、天の父なる神様の素晴らしさがわかり、肉親の父親の弱さも理解できるようになりました」と言われました。やがてその方のお父さんも天の父なる神様が必要なのだということがわかるようになられて、本当に感謝でした。
さて、私たちはどのようなイメージで天の父なる神様を捕えているでしょうか。あなたの信仰の動機となるものはどのようなものでしょうか。何か神様を怖い存在として捉え過ぎてはいませんか。チャンとしないと神様は私たちを愛してくれないかもしれない。そんな思いで信仰生活をしているとすると、いつも不安で、平安がありません。私たちは神様に対する健全なイメージを持つことが必要です。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と聖書が語っているように、神は私たちを愛しておられるのです。全てのことを働かせて万事を益にしてくださるお方です。このお方との交わりが私たちの信仰の本質です。神と喜びの交わりを常に持ち、健全な神のイメージと健全な自己イメージを育てていくものとなりましょう。あなたはどんな状況でも神に愛されているのです。この神の愛の中で、大胆に、自由に、神に仕え、神に従っていくことができるのです。

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