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NO.354 2015.05.31

 「誰かとは、あなたです!

 

聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。 
宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 
(ローマ人への手紙10:14b)

 

先日、浜松の礼拝に参加されている姉妹のお父様が亡くなられました。すい臓に腫瘍ができ、余命一か月もないと言われていました。姉妹はお父様のためにずっと祈っておられたのですが、その祈りが聞かれ、一時は退院されるまでになっておられました。
この機会に是非キリストの救いを伝えたいと願われて、姉妹はメッセージCDや信仰書の「神の国の一日一訓」を手渡されていました。お父様も心を開かれ、娘さんの祈りを受けられるまでになられていました。更に、今度は聖書を一緒に読みたいと文字の大きな聖書を買われて、病室で一緒に聖書を読み合わせをしておられました。
聖霊病院のホスピスに再入院されることになりましたが、姉妹は付添いの時には讃美歌を流し、むくむ足にアロママッサージを祈りながらされていました。最後は讃美歌が流れる中でご家族に看取られて天に召されていかれました。傍らには聖書が置かれ、祈りの内に最期を迎えられたのです。
私たちの人生は有限です。いつか終わりを迎えなければなりません。しかし私たちの人生はこの世の生涯で終わるのではありません。天の御国へと継がれていくのです。そして天の門を通ることができるのはイエスを信じている人なのです。
この天の門を通るチャンスを提供するのはすでに救いを受けている私たちキリスト者の役割です。イエスキリストは私たちを救うために、天の御座を去ってこの地に来てくださいました。救いの道がわからず、迷いさまよっている私たちを招き救うためにキリストは私たちのところに来てくださったのです。このキリストの愛の福音を宣べ伝える責任が私たちにはあります。
私も友人からの誘いを受けて天幕集会に行ったのが救われるきっかけとなりました。ほとんどすべての人が、誰かから誘われたり、教会に招待をされて来たのではないでしょうか。天から直接神の声を聞いて教会に来たという人の話はほとんど聞いたことがありません。しかし、家族から勧められたとか、友人が伝道集会に誘ってくれたとか、牧師に会って話を聞いてもらわないかと勧められたとか、家のポストに教会案内が入っていたなど、誰かがあなたに様々な福音を聞く機会をくれたのです。ですから、私たちが今度は、関係のある家族や友にこのキリストの福音にあずかるチャンスを是非提供する者となりましょう。後であの時に語っておけばよかったと後悔することがないためにも、あらゆるチャンスを用いてキリストに触れるきっかけを提供いたしましょう。
パウロが「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。 宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」と語っているように、誰かが宣べ伝えなくては聞くことはできません。その誰かとはだれでしょうか。それはあなたなのです。あなたを通してでなければ神の愛に触れることのできない人がおられることを覚えてください。救われるのは神様であり、聖霊様です。
いよいよ来週は、祈ってきました「春のハッピーセレブレーション」です。お友達やご家族に是非声をかけてみましょう。神の救いの機会を逃さないようにしましょう!今が救いの時です。

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