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NO.352 2015.05.17

 「主は私の羊飼い

 

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 (詩篇23:1-6)

 

この詩篇の御言葉を暗記して覚えることを心からお勧めします。できたらこの御言葉を毎朝復唱することも実行してみてください。じっくりとこの御言葉を味わってみましょう。そうして、あなたの信仰の告白のことばとして、この御言葉を受け取ってください。あなたの言葉として内側から出てくるようになると、どのような状況の中でも揺り動かされることのない自分を見出すことができるようになります。
 聖書は神様と私たちとの関係を羊飼いと羊に譬えて見事に表現してくれています。私たちは羊であり、羊飼いはイエスキリストです。羊の特質にはいろいろあります。第一に羊は自ら牧草を見つけて食べることができません。羊飼いなしには生きていけないのです。羊飼いに全く依存している存在です。また弱い存在ですから、オオカミなどから守られる必要があります。
 さらに羊は小心者で臆病です。一匹の羊がおびえて走り出すと、周りの羊もわけもわからず一緒に走り出してしまう群集心理に弱い動物です。また、羊は非常に繊細で、不安や恐れがあると眠れません。ハエや害虫がいると悩まされて落ち着きません。空腹や水が不足していると眠れないのだそうです。まるで私たちのことを言っているようではありませんか。
 しかし、そのような弱い存在である私たちを羊飼いであるイエスキリストは、大切に扱ってくださるのです。「わたしは羊のために私の命を捨てます。」(マタイ9:36)「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)「かれらが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(マルコ6:34)そのほかにも多くのみ言葉をもって私たちを羊として救い導いてくださるお方がイエスキリストであることがわかります。
 イエスキリストは私たちの羊飼いです。決して乏しいことはありません。私たちを緑の牧場に導き、いこいの水を与えてくださいます。私たちの渇きを癒し、生き返らせてくださいます。私たちを神との愛の関係へと導いてくださいます。人生における様々な困難や苦しみの中でも、ともにいて支えてくださり、慰め救ってくださいます。どんな敵も恐れることなく、主との交わりが絶えず私たちをうるおします。いのちのある限り、神様の恵みと祝福が私たちを追ってくるのです。いつまでも主とともに住むことができるのです。
この祝福されたイメージをあなたの生活の中に定着させてください。祈りの中でこの御言葉を宣言し、信仰をもって受け取っていきましょう!羊飼いであるイエスにあなたは抱かれているのです。

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