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NO.200  2012.06.17

 「父の心」

 

私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、
ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。
(Ⅰテサロニケ2:11-12)

 

今日は父の日です。皆さんが持つ父親のイメージはどのようなものでしょうか。母と違って父親との関係は少し複雑かも知れません。一概に父親はこうである。と言うことは出来ないでしょう。ある人にとってはがみがみとうるさい父親であったかもしれません。あるいは寡黙な父親だったかもしれません。父親の存在が希薄でなかなかイメージがわかないという人もいるでしょう。
でも、両親がいて今の自分がいるというこの事実は変りません。普段はあまり意識しない親子の関係かも知れませんが、自分にとって父親はどのような人であったか、思い返すことも大切な作業だと思います。「あなたの父と母を敬え」と十戒にあるように、両親との関係を神が願われるようなものとして、キリストにあって受け止められるように成長させていただきたいと思います。
私の父は今年で85歳になります。最近は歩くのに困難を覚えるようになりました。いままで胃がんと心臓の手術をし、数年前には軽い脳梗塞も患ったりしたので、随分と体力が弱くなりました。心臓手術をしたときは人工弁の「チッ、チッ、チッ」という開閉音が聞こえて、心臓が確かに動いているという実感を持ったものです。私が小さいときは父親は少々怖い存在でした。叱られたこともよくあります。でも、私が病気をしたときは、深夜、車で病院に連れて行ってもらったことや、両腕に抱えられてベットに寝かせてもらったときなど、何とも言えない安心感と力強さを感じました。
小さいときから田舎で苦労して働き、重い物を持ち過ぎたので身長は余り伸びなかったし、がに股になってしまったと父が言っていたので、自分のがに股は親譲りだと妙に納得したりしていました。
やがて、信仰に反対していた父も神様の恵みによって導かれましたが、神様の招きに素直に応答してくれたことを本当に感謝しています。また、東京での開拓や教会の法人化に際しては多大な応援を惜しまずしてくれ、肉親としてだけではなく、キリストにある兄弟として交わることが出来るようになったことは大きな恵みです。
パウロがテサロニケの教会に対して、父が子どもに対してするように関わったことが記されていますが、父の心とは子を思って身を削る事をいとわないことなのだと思います。父なる神は私たちを救うためにひとり子イエスキリストを私たちに贈ってくださいました。自らのいのちを喜んで捧げるキリストのお姿に天の父としての心が現わされているのです。この父の日に、父なる神様に感謝するとと共に、私たちを産み育ててくれた父親に感謝を心から捧げたいと思います。
また、父親自身が傷つき痛みを負ったことで、痛みを自分のような子どもにも流してしまったと思える場合もあるでしょう。そんなときは元の親である父なる神様は私たちをまことの愛で愛してくださっていることを覚えて、天の父なる神様としっかりと結びつくことです。そしてこの愛で自分の親を受け止めることが出来るように助けを求めて祈りましょう。天の父なる神様は変ることのない愛で私たちを受け止めてくださるのです。それが天の父の心なのです。

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