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NO.198  2012.06.03

 「喜びの証しを語ろう!」

 

 「あの方は、私がしたことを全部を私に言った。」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。
(ヨハネの福音書4:39)

 

6月17日の午後、洗礼式が行なわれます。今現在7名の方々が受けられる予定になっています。関西と三島から4名来られます。また、今年から始まったオープンセルという伝道小グループを通して、教会に導かれ救われた方もおられて、本当に主の御業に感謝いたします!考えてみれば、どの出会いも偶然の出会いはなく、神様の導き以外何ものもないことがわかります。神様がどれほど一人一人を愛され救いたいと願われているかがよくわかります。また、どの方も誰かから証しを聞いたり、誘われたりして導かれたのですから、神様は救われている兄弟姉妹の証しや存在を用いて導いておられる事もわかります。
ヨハネの福音書にサマリヤという町に起こった神の救いの記事が出てきます。そのきっかけになったのは当時、人々から嫌われていたサマリヤの女性でした。彼女の名前は出てきませんが、家庭生活に多くの問題を抱えていたことがわかります。彼女は今まで5回も結婚、離婚を繰り返していたのです。周りからはふしだらな女と疎まれ、孤立した存在でした。人目を忍びながら肩身の狭い生活をしていました。彼女は愛に飢え、深い魂の渇きを覚えていたにちがいありません。そんな彼女にイエスは出会ってくださいました。彼女にとっては偶然のように思われたかも知れませんが、イエスはわざわざ彼女に会うためにサマリヤの町外れにあるヤコブの井戸に座って、彼女が水を汲みに来るのを待っておられたのです。
イエスとの会話はヨハネの4章に詳しく出ています。彼女の現状を言い当てられたイエスは「 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)と言われて、渇くことのない永遠のいのちの水を与えようとされたのでした。彼女は自分の事を全部当てられ、イエスを信じる心が与えられました。そうして彼女の心はすっかり変ってしまいました。
 彼女は喜びのあまり、水瓶を置いて町に帰り、今まで会話もなかった町の人たちにイエスのことを話したのでした。彼女の変化に驚いた町の人たちは、彼女の勢いに押されるようにして、イエスの元にやってきます。そうして皆イエスを信じるにいたったのでした。話など聞いてもらえるはずもない女の人の立場でしたが、しかし彼女の変化の姿に人々の心は動いたのでした。これこそが生きた証しです。
 私たちは毎日どのようなことばを語っているでしょうか。神の恵みに感謝し、イエスの素晴らしい導きや救いの素晴らしさを証ししているでしょうか。いつの間にか人の批判や人の目の中にあるちりばかり捜して、指摘し裁き合っていると言うことはないでしょうか。私たちに口が授けられたのは神を賛美し、神の栄光をほめたたえ、神の恵みを証しするためなのです。
 お互いにイエスに更に近づきましょう。イエスの恵みに目を留めましょう。互いの素晴らしいところを認め合い、感謝し合いましょう。主の救いの喜びを現実のものとして人々に語りましょう。証しは語れば語るほど更に溢れてくるのです。神の恵みに包まれて証し人として遣わされてまいりましょう。

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