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NO.195  2012.05.13

 「イエスが私たちの親友です」

 

わたしはあなたがたを友と呼びました。  (ヨハネ15:15)

 

先週、NHKプロフェッショナルで自殺防止のために活動をしている白浜バプテスト教会の藤藪庸一牧師の活動が紹介されていました。和歌山県の南紀白浜の名勝「三段壁」は自殺の名所としても有名です。今までに1000人以上の人たちを自殺から救い出し、社会復帰まで支援する活動をしておられるのです。自殺にまで追い込まれる人たちは、なかなか自分のことが人に言えないのです。人間不信に陥っている人もいます。ですから、心を開くことが難しいようです。先生は公衆電話にいつも10円玉の箱を置いて、電話がかかってくるのを待っておられるのです。
わたしも、様々な人からの相談を受けていると、苦しんでいる気持ちをなかなか言えない人が多いことに気づきます。悩みの内容によっては人に言えないと思うこともあるでしょう。もっと早くに打ち明けていれば早く楽になれたであろうにと思う事も多いのですが、当事者にとって見れば、事はそれほど簡単ではないのです。ですから私の所に来られて、心の思いを打ち明けられたと言うこと自体、大きな第一歩を踏み出されたのだといつも思うようにしています。
以前、私の本を図書館で読まれて、相談に来られた方が「男は弱音を吐く者ではない。めそめそ泣くな。といつも言われて育ったので誰にも言えなかったのです。でも、お話が出来て良かったです。こんなに楽になるのだったら、もっと早く来れば良かった。」と言われたことが思い出されます。
なぜなかなか人に言えないのでしょうか。それは悩みを相談すると、それで自分の評価が下がってしまうと思い込んでおられるからです。そのような環境にあったからでもあるのですが、人にどう見られるかということを気にしてしまうのです。近ければ近い関係にあるほど言えない。特に、家族や夫婦の間ではそのようなケースが多いのです。何の問題がないように、平気な自分を演じることはエネルギーが入ります。いつの間にか疲れてしまいます。また恥ずかしいという恥意識もそれを助長しまうようです。
イエスはわたしたちのことを「私はあなた方のことを友と呼びました」と言ってくださっています。何と幸いな事でしょうか。イエスこそ私達のまことの友であり親友です。親友はその抱えている悩みで人を決して評価しません。裁いたり、見下したりすることもありません。むしろ、悩みを受け止め、理解し、解決の道を一緒に探ってくださるのです。

キリストの体である教会を形成している私達一人一人も、同じように人の悩みを優しく受け止めるように心がけたいと思います。悩みのない人生はないのです。悩むことを恥じることもないし、むしろ悩みを通して自分を見つめ直し、悩みを通して生きる力を養い成長出来るのです。悩んでいる人の気持ちに共感し、その人の存在を受け止めることが出来るなら、そこに福音が伝わり救いが前進していくのです。あなたの存在が地の塩、世の光だということを忘れないようにいたしましょう。
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