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NO.194  2012.05.06

 「聖霊に飢え渇こう!!」

 

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、
神の深みにまで及ばれるからです。
  (Ⅰコリント2:9-10)

 

先週の30日、ゴールデンウィーク中でしたが、一日かけて「全人的治癒修養会」という修養会を教会で行ないました。2回目の集いでしたが、25名の兄弟姉妹が参加くださり、大変祝福され恵まれた集いとなりました。この集いは一言で言えば、私たちの信仰の成長を妨げている心の苦い根や要塞に気づき、それを御言葉と聖霊によって取り除くという、「聖霊による癒しと解放」を体験する集いです。
聖霊の満たしをいただいた方、閉っていた心の扉が開かれ、聖霊の力をいただいた方など、神様の御手の中で慰めや励ましをいただいた方が数多く起こされて本当に感謝でした。
信仰生活とは、変えられて行くプロセスですから、短気にならないことが肝要です。長年築き上げられ、根づいてしまっている心のゆがみやこころの要塞は、一度に完全に取り除かれるというわけではありません。しかし、聖霊なる神様は私達を取り扱い、聖霊の光で心を照らして、変えてくださるのです。
自分の今まで体験してきたことや考えが、聖霊の働きを制限してしまっていると言うことはないでしょうか。『「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。』とあるように私達の思いをはるかに超えて、思いもよらないようなことを備えてくださるのが、神様であり、そのことを示されるのが聖霊の働きなのです。
私たちの経験や考えの延長線上に神様の働きを置こうとすれば、すぐに行き詰まってしまいます。私達の潜在意識は、「それは無理だ、出来ない、そんなこと起こりっこない。理解できない。」と言うでしょう。そうすると、心の声の方が大きいので、私達の意識はそれに引きずられてしまいます。
むしろ良い意味で開き直ることです。「自分の考えでは到底わかり得ないのが人生だ。自分では理解できない。だから神様に委ねよう。任せよう。神様に働いていただこう。」自分の考えを放棄し、聖霊に委ね始めるとき、聖霊は働き始められるのです。自己放棄、それが神様が求めておられる事なのです。
聖霊は啓示の神です。神が主体的に働かれ、私達の内に臨まれるのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。」とあるとおりです。この聖霊の働きを豊かにいただくのが信仰の歩みなのです。今、もし行き詰まっているとしたら、それこそ、聖霊なる神様に渇き、求めるときです。わからなくて良いのです。理解できなくても良いのです。神に従う。それが聖霊に飢え渇く第一歩だということを覚えたいと思います。聖霊なる神だけが、「すべてのことを探り、神の深みにまで及ばれる」お方なのです。ですから、聖霊なる神様に聞くことが一番大切なのです。
神様の取り扱いをいただきたいと願っておられる兄弟姉妹は、是非、この一日修養会に参加してみてください。次回は8月に開催予定です。自分が着ている古い鎧を脱ぎ捨て、聖霊に内側から変えていただこうではありませんか。信仰による希望は、決して失望させられることはないのです。

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