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NO.189  2012.04.01

 「粉飾人生からの脱却」

 

「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯を私から取りのけてください。
しかし、私の願う事ではなく、あなたの御心のままをなさってください。」(マルコ14:36)

 

最近のニュースでしばしば取り上げられている事件に「AIJ年金消失問題」があります。AIJという投資顧問会社が、1500億円あまりの企業年金の積立金を預かり、運用をしたのですが、その運用がうまくいかず、1000億円以上の損失を出したというものです。それが報告されていればまた違っていたのでしょうが、それを隠蔽するために、あたかも利益が出て、運用が順調にいっているように見せかける粉飾の運用成績を報告をしていたのです。顧客を欺くこの行為に、刑事事件にまで発展する様相を呈しているのです。同じような事案もまだ出てくる可能性もあります。こつこつと積み立てていた年金がもらえないような事態になれば大きな社会問題となりかねません。
このような粉飾報告は一般企業でも度々問題になりますが、私たちの人生にも大なり小なり粉飾的生き方をしてしまうことはないでしょうか。実際は全然出来ていないのに出来ているように見せかけたり、うまくいっていないのに、いっているかのように装ったり、私たちの生き方もこの粉飾的生き方と無縁ではないのです。
今は受難節ですが、十字架を前にして弟子達とイエスの生き方の違いが浮き彫りにされてきます。弟子の一人ペテロは、「鶏が鳴く前に3度自分を知らないと言う。」と言われたイエスに反論し「たとえみんなの者が躓いても私は決して躓きません」と大見栄をきってしまうのです。結果はご存じの通りです。
一方イエスは最後まで自分の本音を貫き通されました。ゲッセマネの祈りはその最たるものです。悲しみのあまり死ぬほどの状況を率直に弟子達に話し、祈りの要請をされました。更にご自分の祈りの中では「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願う事ではなく、あなたの御心のままをなさってください。」とご自分の思いを赤裸々に訴えられ、その中から神のみこころを選び取って行かれたのです。イエスはご自分を飾ることはなさいませんでした。ありのままの自分を弟子達にも見せられました。十字架を前にし、ご自分の葛藤も隠すことをなさらず、正面から神に向かって歩んで行かれたのです。このイエスの姿こそ私たちが見習うべき生き方ではないでしょうか。
弱いのに格好をつけて強く見せたり、見栄を張ってみたり、自分をよく見てもらいたくて演技をしてしまう。人と比べて背伸びをしてみたりすることもあるでしょう。でもどれも本当の自分自身ではありません。
イエスは私たちに本音で関わり、本音でぶつかって欲しいと願っておられるのです。十字架と復活を待ち望むこの季節に私たちはありのままの自分を主の前に差し出そうではありませんか。辛いときには辛いと言い、神の助けを求めるのです。子どものように素直な自分になってイエスの十字架を仰ぎましょう。イエスの血の汗をしたたらせた祈りはやがて復活の命となって帰ってきたように、私たちは粉飾人生をやめ、等身大の自分に立ち帰って生きていきましょう。神は裸の私たちに近づいてくださるのです。

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