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NO.187  2012.03.18

 「勇ましい高尚なる生涯」

 

彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。(ヘブル13:7)

 

「それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。 」 (「後世への最大遺物」より内村鑑三)
  これは内村鑑三が1894年に箱根で開かれた「キリスト教徒夏季学校」において講演した記録から書き起こされた書物「後世への最大遺物」からの抜粋です。
彼は講演の中で、後世に何を残すことが出来るか。と問いながら、お金を儲けること。事業を興すこと。書物を書くこと。など歴史の中で名を残した人たちの遺物を取り上げます。それらも素晴らしいが、しかし誰でも残すことの出来る遺物があるというのです。たとえ、お金がなくとも、特別な才能がなくとも、誰でも後世に残すことの出来る遺物、それは一人一人の生き様です。
その生き様を彼は「勇ましい高尚なる生涯」と表現しました。勇ましい高尚なる生涯を一人一人が、残すことが出来るというのです。それはどのような生きかたか。それは「この世は神が支配する世の中であると信じる生き方」であり「希望の世の中であることを信じること」であり、「歓喜の世の中である」ことを生涯に実行して生きることだというのです。それこそこの世にいる人たち、後に続く人たちに残すことの出来る贈物であり、誰にでも残すことの出来る遺物なのです。
わたしたちはもう一度この勇ましい高尚なる生涯を自らの生き方の中で実践したいと思います。人を見てうらやむ必要はありません。神がくださっているこのかけがえのない人生を信じて、生きるのです。あなたの生き方を通して、神が生きておられる事がわかる。人が諦めへこたれそうになる状況でも、神が共におられるので大丈夫。試練が来てもそれを喜び、神の御業の現われるときとして信じて前向きに受け止める。
全てが神の恵みであり、祝福であり、その中で生かされていることは何と大いなる事かと喜んで生きる。まさにキリストがわたしたちの生き方の中にリアルに、ありありと生きておられる。そのような生き方ほど「勇ましい高尚なる生涯」はないのではないでしょうか。
私たちに与えられている、この尊い人生を私たちは神からの贈り物として受け止め、真正面から人生にチャレンジして生きたいと願います。あなたの人生にかぐわしいキリストの香りが放たれるのです。それこそ後世への最大の遺物ではないでしょうか。主イエス様の尊い生涯の中にそのような生き方を今日も学んで生きていきましょう。

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