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NO.186  2012.03.11

 「神の国は私たちのただ中にある」

 

『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)

 

昨年の3月11日の東日本大震災から、今日でちょうど一年が経ちました。三陸沖で巨大地震が発生し、地震、津波、原発事故、の3重苦を東日本を中心にした地域が負うことになってしまいました。1000年に一度の大震災と言われ、死者計1万5854人、行方不明者は3155人(10日現在)で、今も捜索活動が続いています。34万人余りが全国各地に避難し、仮設住宅などで不自由な生活をいまなお送っています。
この震災は私たちの生活や価値観も一変させてしまいました。今までの生活が土台から崩れたのです。安心の土台が全てなくなってしまった喪失感が、多くの人を覆っています。生活の基盤となっていたものが、津波と一緒に次々と流され消えていったのです。失った家族、職場、家、友達、財産、本当に何にもなくなってしまった人たち。残されたものを頼りに生活の再建が出来る人たちとのギャップは非常に大きなものがあります。更にまた、1年経てば、大震災の記憶も過去の記憶となり始めていることも否めません。今現在も苦しんで生活している人と、被災しなかった地域の人たちの意識のギャップも広がるばかりです。取り残されてしまうのではないかという不安を抱えている人たちも数多くおられるのです。
私たちは被災された人たちの苦しみを決して忘れず、祈り続けていかなければなりません。私たちの痛みや苦しみを自分の事として負ってくださったイエス様のように、私たちも祈りや様々な宣教活動を通して神の国の恵みの現実が今こそ間近にあることを伝えていく責務があるのです。
 イエスが来られたとき、ユダヤの人たちはローマ支配の中、ヘロデ王などの為政者の搾取で苦しんでいました。現実の中に何の救いも見いだせなかった人々は、救い主の到来を待ち望み、苦しみから救済してくれるヒーローを待ち望んでいたのです。目に見える救済、これが救いだとヘロデ王やローマと戦ってみせる救済者を期待していたのです。そんな彼らにイエスは神の国の現実を語られました。すなわち、神の国とはあそこにある、ここにある。と言うものではない。「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」と言われたのです。誰かが、どこからか持ってくるような見える形の神の国ではなく、信じる者の中に与えられる生きた神の国の現実がもっと必要だったのです。
そうです。私たちが人々に提供できるのは、このキリストの救いを通して与えられる神の国です。それは、何も奪うことの出来ない心の平和であり、神との交わりの回復です。この世のいかなる現実も神の愛から引き離すものはないという強い神との絆、すなわち信仰が大切なのです。生活は安定せず苦しくても、「神の国は私の内にある」そう告白し、神を見上げて希望を持って生きる方々が起こされるように祈り続け、のべ伝え続けていくものとなりましょう。

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