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NO.180  2012.02.05

 「語る言葉に気をつけよう」

 

私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。
もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体をりっぱに制御できる完全な人です。
(ヤコブ3:2)

 

現代のコミュニケーションツールは多岐にわたっています。ネットの発展によりメールでのやりとりやソーシャルネットワーク(フェイスブックなど)などですぐに相手とやり取りが出来ます。しかし、同時に気をつけないと相手を簡単に傷つけてしまうので注意が必要です。書かれた言葉は意外とダイレクトに伝わってしまいますので、送り手がそんなつもりではなかったのに、相手は深く傷ついたり、思った以上に強く伝わったりするのです。
私も大切なコミュニケーションは対面でしっかりとすることに務めています。もちろん、文面で内容を記録することは大事ですが、普段のコミュニケーションを何でもメールで済ませてしまう癖がつくと、相手の声を聞いたり、会って話すことがおっくうになり関係が希薄になる可能性があります。最近は意思の疎通の仕方がわからない若者が増えているように思ってしまうのは私だけではないでしょう。ですから、教会に集ったり、スモールグループ(ファミリーセルなど)で交わることが現代は特に大切であることを実感させられています。
互いのコミュニケーションを深めるときには、やはり言葉に気をつけることが求められます。牧師は語ることが仕事のように思いがちですが、むしろ聞くことに非常に意識を使います。相手のことがわからないと一方的にこちらのことだけを言っても伝わらないからです。コミュニケーションの始りはしっかりと傾聴する事から始まるのです。
時々、ありがたい(?)ことに家内から色々チャックが入ります。あの言い方は相手の気持ちを汲んだ言い方ではなかったとか、もっと配慮して言うことを整理して言う必要があるとか。そうすると改めて自分の事を意外と知らないのが自分自身なのだと言うことに気づかされるのです。
聖書も、私たちが言葉で失敗することが多いことを指摘しています。言葉で失敗しない人は体全体をコントロールできる「完全な人」だとさえ言っているほどです。また、「舌は火であり、不義の世界です」(ヤコブ3:6)とも続けていて、言葉の力の大きさと影響力を記しています。
互いの関係を深めるためには、相手に対する尊敬の心を持って話すことが基本です。先日のオープンセルの集いでも「相手に価値を付与すれば、相手もそれに答えてくれる」事を学びました。大切な人と思って話しをすれば、あいてもそれにふさわしく応答してくださるようになるのです。傷ついている人が私たちの周りには溢れています。あなたの励ましの言葉、愛の言葉、関心を寄せていることの言葉がどれほど相手にいのちを与えることになるでしょうか。自分の感情のままに話さないで、キリストはこの方をどのように愛しておられるのであろうかと祈り、導きを求めつつ交わりを深めていく者となりましょう。

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