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NO.175  2011.12.25

 「クリスマスの喜び」

 

御使いは彼らに言った。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来たのです。」 
きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
(ルカ2:10-11)

 

クリスマスおめでとうございます!イエスキリストの御降誕をこころより祝いいたします。
今年は、日本にとって激動、激変の1年でした。3月11日の東日本大震災を境にして状況が一変してしまいました。行方不明者は未だ3400人を超え、原発事故による被災者は今なお避難生活を強いられておられます。
しかしそれだからこそ私たちはこのクリスマスを心から喜ぶ者になりたいと思うのです。喜ぶ現実的理由があるから喜ぶのではありません。たとえ喜ぶ理由をこの社会に見いだせないとしても、キリストの中にその喜びを見いだせるのです。
御使いによって羊飼にもたらされた知らせはまさにその喜びの知らせでした。では、何が喜びの知らせになったのでしょうか。
 それは第1に「救い主」がお生まれになったという知らせです。長く抑圧された生活を強いられていた羊飼たちでした。人の数にも入れてもらえず、差別と孤独の生活を送っていたのです。見放され、見捨てられたような存在である人々を救うためにイエスは来られたのです。
更に、私たちの心の中を支配している罪から救うためにイエスは来られました。自分の力で自分自身を救うことは出来ません。しかし、イエスキリストは私たちの罪の縄目と解き、キリストの愛で満たす為に来てくださったのです。
 第2にその知らせは「あなたがたのため」の救い主であることです。御使いは、救いとは縁遠かった羊飼たちに「あなたがたのために」救い主がお生まれになったと告げたのです。今まで除外されていた羊飼たちにこそ、イエスは近づいてくださったのです。たとえどのような立派な救い主がお生まれになっても、もし私たちと全く関係ないのであれば、クリスマスは私たちにとって無意味なものになってしまうでしょう。
しかし、イエスは羊飼たちにこの知らせを一番に持って来たのです。神様は一番恵みから遠い羊飼たちに、一番最初に、救い主の誕生を知らせたかったのです。
 そうです。今日のクリスマスは、あなたのため。わたしのためのものです。遠慮しないで、この恵みの中に飛び込んでいきましょう。現実はいますぐ喜べなくても、神は私たちのその現実の只中に来られて、喜びを溢れさせてくださるのです。さあ、ご一緒に自分の心の飼葉桶をキリストに明け渡しましょう。

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