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NO.171  2011.11.27

 「さじ加減」

 

正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。(箴言11:30)

 

多くの人が悩むことの一つに人間関係があります。先日もある方とお話ししていたのですが、会社の上司との関係や同僚との関係がうまくいかず悩んでしまい、鬱病寸前にまでなったとのこと。
人の性格は千差万別です。積極的な人もいれば、なかなか人の言うことにノーと言えず、ずるずると相手に合わせてしまい、ストレスを抱えてしまう人もいます。相手がどう感じているかを考えすぎる余り、疲れてしまうという人もいるでしょう。また反対に相手のことを考えず、自分のしたいことをどんどんやってしまい、無神経と嫌われる人もいるかも知れません。
人間関係はこのさじ加減が難しいのです。関わり過ぎて、出しゃばりすぎて嫌われることもあれば、関係が希薄すぎて友達ができないということにもなるのです。
料理番組をたまに見ると、「ここで少々お塩を入れます」と講師の先生が言われますが、この「少々」は一体どれくらいなのかと思います。確かに少々は少々ですが、人によって少々のつもりが多すぎたり、逆に少なすぎて味が薄くなったりしてしまいます。それは経験から生み出された感覚でそれが絶妙なのが先生たる所以なのでしょう。
私たちはキリストの証人として人々にキリストを証しするのですが、私たちは生身の人間ですからその関係作りを大切にしなければなりません。聖書は「知恵のある者は人の心をとらえる。」とあるように、知恵ある者になりたいと願わされます。
神を信じる者として、人との関係作りにチャレンジしてみましょう。先ず自分の行動パターンを知ることです。できたら信仰の友に自分の事を聞いてみるのもよいでしょう。意外と自分の事は分りません。一番知っているのは家族かもしれません。家族に言われてもそれほど傷つきませんから、何が多すぎて何が少なすぎるのか。聞いてみることです。自分を変えるために、自分と向合うことが大切です。
コミュニケーションは相手との関係ですから、相手が何を望んでいるかを考え、主が豊かな愛を与えてくださるようにと祈りましょう。そうして、多すぎることは削り、足りないところはふやせるように出来る事を書き出して見ましょう。
私にとって一番の理解者で、私のことをよく知ってくれているのはやはり家内です。妻が言うことには、耳を傾けるようにしています。時にはそれはきついですが、自分のためであり、人のためだと思って受け入れるようにしています。意外と私は自分では解っているつもりでも、周りの人にそのことをしっかり説明をしないので、混乱させてしまうことがあります。そのことを絶えずチェックしながら、相手が聞いてくれるように説明や話しをしっかりすることを心がけようとしています。
知恵ある者になるために、自分の傾向を知り、それを神様に取り扱っていただくなら、主の役に立つ者となれるのです。主は私たちを取り扱い、人の心をとらえる者にしてくださるのです。

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