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NO.169  2011.11.13

 「一粒の麦となる」

 

まことに、まことに、あなたがたに告げます。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
(ヨハネの福音書12:24)

 

先週の8日火曜日、裾野市の五竜の滝で12名の兄弟姉妹が洗礼を受けられました。9月に天に召された大川省子姉の長年にわたる証しと導きで、彼女の会社のメンバーの方々と大川姉の甥の兄弟、合わせて12名の方々が洗礼を受けられたのでした。
朝から曇り空で寒くなるかと思われましたが、洗礼時間の午前10頃は穏かそれほど寒くない天候となっていました。一列に並んで一緒に賛美を歌う姿は何とも言えず壮観でした。一人一人信仰告白をし、水の中に入って洗礼を受けられましたが、どの方も新しく生まれ変わる喜びで感動に溢れておられました。
洗礼を受けられた方の中には17年前からご自分が夢のマスターリストに「西田牧師から洗礼を受ける!」と書いておられたそうですが、それが実現した形となりました。これは本当に、神様の御業というほかはありません。
受洗された方々を信仰に導いたのは、今は亡き大川省子姉妹の証しでした。神様は天使を用いるのではなく、人を用いてキリストの救いを伝えられると言うことを改めて思わされます。私も生前の省子姉とは長年の交わりがありましたが、本当に純粋にキリストを信じ、キリストの力と聖霊の働きを信じておられました。生活の中でのキリストの証しが周りの方々に多くの影響を与え、延べにして60名近い方々が信仰に導かれたのです。
洗礼式と前後して、実話を元にした朗読劇「塩狩峠」の公演がありました。その主人公、長野青年の姿と大川省子姉の姿が「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」という御言葉でつながったように思いました。長野青年は逆走する列車を命を賭して止め、乗っていた乗客を救出いたしました。彼の命をかけた行為が、キリスト者を次々と生み、北海道にキリストの証しがとどろくきっかけとなったのです。同様に、大川省子姉の命を削った証しは会社の従業員の方々や周りの方々を数多くキリストに導いたのです。
一粒の麦となって命をささげる生き方がどれほど人に影響を与えるかを覚えたいと思います。神様は特別な人を用いられるのではありません。ごく普通の神を信じている人々を用いて神様は御業を行われるのです。あなたもその一人であることを忘れないで下さい。
多くの人達は逆走する列車に乗って死に向かって突進しているのです。その人たちを救うのはあなたや私の証しであり、生活であることをもう一度自覚いたしましょう。一粒の麦となって、機会を生かしてキリストの救いの素晴らしさを伝えようではありませんか。神はあなたの証しを用いられるのです。

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