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NO.168  2011.11.06

 「チャレンジすれば道は開かれる」

 

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、
後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
(ヘブル12:11)

 

今年の7月に現役生活を引退した浅香山親方(元大関魁皇)が書いた「嫌いなことでも好きになれる」という著書の出版記念会がありました。彼は千代の富士の持つ最多勝記録を抜き、歴代通算最多勝新記録1047勝を上げた事でも有名です。
私たちはよっぽど浅香山親方は相撲が好きだったのだろう。だからやれたんだと思いますが、意外にもインタビューの中で「自分は相撲の世界に入るまで相撲に興味がなかった。稽古をするごとに好きになったし、辞めるころには相撲が大好きになっていた」と語っていました。まさに本のタイトルの通りの言葉ですが、なかなか味わい深い言葉だと思います。
23年間の相撲人生の中では、度々けがに悩まされ、勝てない時期もありました。しかし、それでも相撲をとり続けたのです。ほかの大関、横綱力士のような才能はそれほどなかったかも知れませんが、一生懸命けいこを積み、頑固なほど真面目に相撲を取りづけ、横綱にはなれませんでしたが最多勝という偉業を達成したのです。彼の生き方は私たちにも生きる示唆を与えてくれます。
私たちは何かをするときに、自分の経験や性格に照らし合わせて、できるか、できないかを性急に決めてしまうクセがあります。しかし中にはやってみると意外と自分に合っていたり、やるごとに好きになったりすることが意外と多いのです。もちろん最初に取りかかるときは、難しいように思えたり、自分には向いていないように思えることがあります。しかしそれで止めてしまったら、可能性はそれで閉じられてしまうのです。
先日就職して一年目の会社員の女性と話す機会がありました。営業の仕事をしているのですが、最初は自分は営業は向いていないと思い就職は事務職を狙っていたのだそうです。しかしなかなか就職が決まらず、やっと就職したのですが、その会社で営業の方にまわされてしまったのです。話が違う。自分には出来ないと思ったそうです。しかし、仕方なくやり始めたら、意外と自分に合っていたというのです。今は楽しく仕事をしていると言うことでした。
どんな分野でも最初からエキスパートの人はいません。時間をかけて仕事を覚え、チャレンジしていくのです。時には落ち込むこともあるでしょうし、うまくいかないこともあるかも知れません。でも、反復、継続をしていくうちにだんだんと上手くできるようになっていくのです。
 私たちの信仰生活も同じです。信仰の成長には努力が必要です。神を信じて生きるとは自分の好き勝手に生きる事ではありません。神があなたや私に願っておられる生き方に生きる事です。そのためには、今までの生き方を変えることが求められます。
霊的成長は自分の古い生き方を捨て、キリストの御心に従って生きる時に起こるのです。自分を変えるためには最初はエネルギーがいります。でも神様に用いられる訓練と思ってチャレンジしていくなら、聖霊なる神様は素晴らしい祝福への道を開いてくださるでしょう。乳飲み子から、幼子へ、そして青年、大人へと成長していこうではありませんか。神はあなたを大きく用いたいと願っておられるのです。

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