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NO.164  2011.10.09

「従順する恵み」

 

イエスは答えて言われた。
「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
(ヨハネの福音書13:7)

 

先週、月曜日から水曜日までの三日間、「牧会者霊性啓発セミナー」に招かれてメッセージの御用をさせていただきました。「パウロ宣教会」という韓国から日本に宣教師として来ている牧師先生たちの団体が主催しておられるのですが、今回で13回目を数えるセミナーでした。およそ50人の韓国、日本の教役者の方々が集い私も5回のメッセージを担当させていただき、大きなチャレンジをいただきました。
 韓国は世界でアメリカに次いで二番目に多くの宣教師を派遣している国です。
169カ国におよそ2万2000人の宣教師を送り出しているのです。日本にも多くの宣教師が韓国から来られていますが、その宣教の心は本当に熱いものがあります。
今回のセミナーでも、韓国の先生方が一生懸命日本の宣教の現場から学ぼうとされていることがよく伺えました。熱心に講師の話に耳を傾け、キリストの愛を何とか日本に伝えたいという熱い思いと祈りが伝わってきました。私も韓国の先生方から多くのことを学びましたが、その一つが「神様に従順する」生き方です。神様が言われることにはどんなことがあっても従う。その信仰の姿勢は本当に大切です。
神様に従う心がなければ、韓国から伝道の難しい日本にはなかなか来ることはないでしょう。神様に従順する心がなければ、多くの苦労を強いられる日本で宣教を継続することは困難です。日本を愛し、日本の為に生涯を捧げておられる宣教師たちの生き方には、信仰の本質を教えられます。
神を信じる信仰は、自分の願望を達成するための手段でもなければ、目的でもありません。信仰とは「キリストにしたがっていく生活」そのものです。もちろん、結果として私たちの願いをはるかに超えた恵みや祝福にあずかるのですが、それはキリストに従う従順の結果なのです。
 ある人は従順というと窮屈に感じるかも知れません。自分の思いや考えはどうなるかと思うでしょう。もちろん神は私たちの思いや考えを用いてくださいます。しかしそれが先ではないのです。もしそれが優先されてしまうと、私たちの生き方は放縦に陥ってしまう危険性があります。自分勝手に信仰を解釈し、自分の願望が聖書の真理よりも優先することになる場合もあります。
先ず神の御心と計画が第1なのです。私たちは聖霊の助けにより頼みながら、それを実現するために全ての機会や能力やアイデアを用いて実現していこうと努力するのです。ですから何をするにも先ず神に問うこと。神に聞くこと。それが一番大切です。神様が願われることは従うことです。時には神の求められることが、自分で理解できないときや納得できないこともあるでしょう。でもそれでも従順するのです。自分が従えることは従えるけれどそうでないときは従えない。というのであればそれは従順していることにはならないのです。
 分っても分らなくても従順する。それが信仰です。アブラハムは行くべきところが分らず、神の御声に従って出ていきました。モーセもいきたくなかったけれど、神様に押し出されエジプトへ出かけていきました。その結果、神の救いの歴史に用いられる人となったのです。主の恵みにあずかる近道があるとするならば、それは徹底して神に従うことです。時には自分のしたいことも放棄しなければならないこともあるでしょう。犠牲を払うこともあります。でもその先に神が用意しておられる大きな祝福があることを忘れてはなりません。

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