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NO.163  2011.10.02

「交わりの喜び」

 

「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
(マタイの福音書18:20)

 

先週28日水曜日、渋谷隆一兄の告別式がございました。心筋梗塞で急に亡くなられたのです。71歳でした。兄弟は加藤兄を通して昨年の1月に教会に来られるようになり、この12月に洗礼を受けることを希望しておられました。
寡黙な方で、ご自分のことを余り周りの方に話されませんでした。新潟の出身で高校卒業後に上京され、フォークリフトの免許を取得して仕事をずっとしてこられました。不況のあおりで仕事を無くし、生活に困っているときに加藤兄と出会い、彼の御世話で福祉の助けを受けて生活をしておられました。
礼拝には殆ど休まずに出席され、聖書の御言葉を熱心に聞いておられました。友人の野畑兄の話しによれば、大変優しく、争いや議論を好まず、人の話をよく聞かれ、体の弱い野畑兄のために殆ど毎日、食事を作ってくださり、御世話をよくしてくださったとのことでした。
様々な事情でご家族と離ればなれになり、孤独な生活をされていた時に、教会に導かれ神様の救いにあずかられたのです。教会に来られてからは随分と明るくなられ、兄弟姉妹との交わりを喜んでおられました。教会のファミリーバーベキューなどでは、片付けなどの奉仕を積極的にしてくださいました。
告別式には平日の夜にもかかわらず大勢の教会の兄弟姉妹が出席してくださり、短くはありましたが神の家族として共に交わりが与えられたことを感謝しつつ、祈りを捧げることできました。
 特に今回の葬儀は、キリストにある希望の素晴らしさ、またクリスチャンの交わりの豊かさを深く覚える時となりました。血縁関係でもなく、また生まれも育ちもみんな違う者達が、キリストを通して、神の家族として教会に導かれているのです。この交わりの特徴は、キリストを中心とした愛の共同体です。共に集まり、神に礼拝を捧げ、互いに祈り合うことができるのです。お互いに励まし合い、助け合う関係が育まれていくのです。また、互いに仕え合いつつ、霊的戦いを共に戦うのです。このような交わりはほかにはありません。またキリスト者には天国で再び会えるという希望があります。葬儀社の方がサポートでついてくださっていましたが、キリスト教の葬儀はあまり扱われたことがないようで、大変感銘を受けておられました。どんな人の人生にも価値があり、意味がある。またその最後の死にも意味があることを覚えたいと思います。
現代ほど家族の大切さが叫ばれている時代はありません。家族の交わりが希薄になり、互いが傷つき痛んでいるのです。孤独な人が溢れています。わたしたちは、教会の家族として神の愛の温もりと交わりを分かち合っていくことが求められているのです。誰かが弱っていたら、放ってはおれない。誰かが傷つき倒れているなら、助けの手を伸ばさないではおれない。そのような者になりたいと思います。あなたの周りの人に対して更なる関心を持って関わり交わろうではありませんか。

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