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NO.162  2011.09.25

「証しの喜び」

 

使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
(使徒の働き4: 33)

 

今、毎週礼拝において兄弟姉妹の証しの時が与えられています。一人一人の人生に神様がどのような事をなさっておられるのか、生の声を証しとして聞くことができるのは何という恵みでしょうか。ある方はどのようにして神を信じるようになったのか。またある方は祈りを通して神様の恵みをどのように受け取られたか。また家族にどのように証しがなされたか、等々。
うかがっていて共感することや、神様が本当に生きておられる事に感動することなど主をほめたたえることができるのは本当に感謝です。
 証しは実際に神様がなさったこと、体験したことを具体的に分かち合うことです。証しは決して説教でもなく、お勧めでもなく、教理を語ることでもなく、自分の信仰体験を語ることです。ですから、それは誰にでも出来る事です。神の恵みを体験したことを通して、神が生きておられる事が伝わるのが証しの中心です。
 また自分の信仰深さを語ることでも、あるいはすごい体験を自慢することでもありません。ただ神が生きて働かれておられることが分かち合えればそれで十分なのです。信仰の恵みが証しを通して分かち合われていくときに教会は互いに励ましを受けて益々力強く建て上げられていくのです。
 信徒同士で分かち合われる証しについて述べてきましたが、同時にこの証しは、未だ教会に来られたことのない方々にとっても大きな伝道の手だてになることを覚えたいと思います。一人一人が体験した証しは、周りの人は否定しようがありません。つまり、受け入れる、受け入れないは別にして、その体験を否定したり議論することができないのです。ですから、証しは人々に神が生きておられる事を知らせる大きな伝道の武器となるのです。
 神様によって救われたことを自分の中だけに留めておかないで、どうかまだイエス様を知らない方々に証ししてみましょう。最初は勇気がいるでしょう。きっかけを作るのに苦労もするかも知れません。しかし、証しする相手のことを覚えて祈っている内に、その方への愛が沸いてきます。この人にもイエス様を知ってもらいたい。この方も神様に造られている神様の作品だ。迷いの道から神を信じる道に導かれて欲しい。罪を赦されて解放されて欲しい。そんな願いが起こってくるはずです。祈れば祈るほど神様は力を与えてくださいます。
 また教会のほかの兄弟姉妹の証しを沢山聞いてください。それは同様に生きた証しです。病気から癒された証し、家族が救われた証し、導きが与えられた証し、神様がくださった励まし。奇蹟。等々。伝道したい方にぴったりの証しに出会います。聞く方々の心の中に飢え乾きが起き、もっと知ってみたいという思いが必ず与えられてきます。大胆に証ししようではありませんか!!

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