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NO.160  2011.09.11

「礼拝を捧げる喜び」

 

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。
今がその時です。   父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネ福音書4:23-24)

 

車輪の生活の4番目の項目は「礼拝」です。礼拝とは神をあがめ、私たち自身をささげることを言います。その意味では毎日が礼拝であり、私たちの日常の生活全てが礼拝であるということができます。
 特に日曜日の聖日礼拝(主日礼拝)は、神様と会う祝祭の場であり、信じる者たちが共に集い、価値あるものを捧げるものです。今まで、日曜日と言えば、遅くまで寝て過ごしていた人も多かったのではないでしょうか。体を休め、だらだらと過ごすこともあったでしょう。しかし、キリストを信じてからは日曜日が生活の中心となり、一週間のスタートになったのです。聖日礼拝が自分の生活に定着するには少々の時間と、習慣化が必要となってきます。しかし、礼拝の恵みを知ると、礼拝に生きたくて仕方がない。と思えるほどになるのです。礼拝に行けないと、何か大切なものをミスしてしまったように感じてしまうほど、神を礼拝することに飢え渇いてくるのです。
礼拝は、単なる牧師の説教を聞く場所ではありません。話を聞いて、そのお礼に献金をするというようなものではありません。また、礼拝は好きな歌を歌ってストレスを発散させる場所でもありません。更には知っている人と楽しく話しをする社交場でもありません(もちろん交わりは大切ですが)。
先ず第1に礼拝は神様に私たちの全てを捧げることです。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)とあるとおりです。生きた供え物として自らを捧げるのです。それが冒頭の言葉の通りに、「霊とまことによって礼拝」することなのです。自分を偽らず、心の奥底からあふれる礼拝を捧げるのです。
 また第2に礼拝は神を心から賛美し、神との交わりを楽しみ喜ぶことです。真の礼拝者に神様は聖霊を豊かに注いでくださいます。神の御言葉の確信を与えられ、聖霊様の臨在に触れ、聖霊に満たされて出て行くのです。
 第3に礼拝はこの世に出て行くための出発の時であり、その喜びを抱えて出て行く備えの時です。礼拝での聖霊の満たしの雰囲気を持ってそれぞれの所に遣わされていくのです。職場に、学校に、家庭に、聖霊の流れが流れていく事を信じましょう。神様の愛と憐れみをただいた私たちが、今度は周りの人々にその愛と慈善を実践していくのです。
 どうか兄弟姉妹の生活の中心をこの礼拝に置いてください。礼拝中心の生活スタイルを確立いたしましょう。また、ファミリーグループで礼拝を捧げましょう。生きた礼拝は私たち一人一人を生かし強めます。
神様は真の礼拝者を探し求めておられるのです。

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