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NO.155  2011.08.07

「明確な自己像をもとう」

 

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)

 

昨日は、8月6日、66回目の広島原爆忌でした。今年は東日本大震災の津波による福島原発事故が重なり、改めて原子力の安全性とその取り扱いが問われるときとなりました。
実際に原爆と原発事故の両方を体験したのは日本だけです。このことは私たちに対して何か特別な意味があるように思えてなりません。この体験は偶然ではなく、私たち日本人が、日本人として発しなければならないメッセージがあるように思います。この終末期に特に私たち日本人クリスチャンに、神様が託しておられる使命があることを自覚しなければならないように思うのです。
実際、震災以降、多くの人達が、自分たちのふるさとを思い、家族の大切さを考え、日本人であることの自覚を改めて持つ人達が増えているように思います。復興への努力をしつつ、同時に私たちキリスト者は日本人と世界の人達に伝えるべきもの、果たすべき使命は何なのかを真剣に考える必要があると思います。
 大きな困難を乗り切ろうとしている私たちですが、世界に目を向けると様々な困難を経ながら、民族としての自意識を持ち続け、生き抜いてきた人達がいます。それはユダヤ人です。彼らほど、多くの迫害と困難を受けた人達はいません。聖書の世界から今日に至るまで、ユダヤ人たちは何度も国を失いました。古代に於いてはバビロニアにより国は滅び、ローマ時代はローマの属国となり、更には離散の民として世界中に散っていったのです。現代においてはナチスドイツによるホロコースト(大虐殺)により500万人以上の人達が殺され、東欧、旧ソビエトにおいても何百万人という人達が虐殺されたと言われています。それでも彼らは民族としての意識を失うことはありませんでした。
多くの苦節の末についに1948年にユダヤ人国家としてイスラエル建国がなされます。過去に存在した国として歴史の中に残されることはあっても、今なお国家として存続し、ユダヤ人としての自意識を明確に持って生きているというのは驚嘆に値することです。目に見える土地や家を失っても、国を失っても、自分たちのアイデンティティー(自己像)を失わない。それは彼らが聖書における選ばれた民としての自意識を強く持っているからだと言われています。自分たちは神が世界中の中から選ばれた特別な民なのだ。耐え難き迫害を乗り越え選民としての使命を果たせるのは自分たちなのであるという強い自意識と価値観が彼らを支えているのです。
さて、私たちキリスト者はどうでしょうか。神を信じているというアイデンデティー(自己像)を強く持っているでしょうか。イエスキリストの命の代価によって罪赦され、救われたのです。また、神の子としてくださったのです。自分は神に愛され神の子とされている。このはっきりとしたアイデンティティーを持つことは本当に大切な事です。問題があるとすぐにつまずく、試練があるとすぐつぶやき、生き方がぐらつく。弱い私たちです。しかし、神が私たちの味方なら誰も敵対することができないということを徹頭徹尾信じ、神に従っていくならば勝利者としての歩みが与えられるのです。人生には困難や闘いがつきものです。しかし、神が私たちと共におられ、支えてくださり、神の子としてくださっているのです。天を見上げ勝利を信じて堂々と歩んでいく者とさせていただきましょう。

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