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NO.152  2011.07.17

「さらに良きことを備えられる主」

 

神はいのちを救うために、あなた方より先に、わたしを遣わしてくださったのです。 (創世記45:5)

 

時々私たちは起こる現実に対して耐えられそうにないと思うことがあります。直近では東日本の大震災がそうです。多くの方々が今なお避難所生活をしておられます。先週は牛肉からセシウムという放射能が基準値を超えて検出され、動揺が広がっています。また、この異常な暑さの中で節電を余儀なくされ被災地の方々はご苦労をずっとしておられます。そのような現実を数えていると心は重くなり、やりきれない気持ちに陥ることもしばしばです。
しかし、そのような時にこそ、その中に働かれる神の力を経験させていただくことができるということを信じたいと思います。見えていたものが無くなり、確かだと思っていた物を失って、初めて見えないものの価値がわかるということがあるのです。目に見えないものを見る力を養うのが信仰ということができるのではないでしょうか。
神の視点、神の計画、それらはしばしば私たちにとっては不思議で、わたしたちの思いをはるかに超えています。もし神様の深い計画を神の言葉を通して信じることができるなら、起こってくる出来事全てに意味があることがわかり、神に望みを置くことができるのです。
ヨセフという人の話が創世記に出てきます。兄弟に売り飛ばされ、奴隷として仕え、その主人の妻からは濡れ衣を着せられ投獄されてしまいます。嘆こうと思えば嘆くことに事欠かなかったでしょう。しかし、彼はその置かれた状況でひたむきに生きていったのです。神を見上げ、最悪と思われることの中にも神の御手があることを信じ、主の御手の中に自分の人生をゆだね、神をあがめて歩んだのです。そのような彼に神はいつも共におられて、困難な状況の中でも、主の祝福が臨んだのでした。やがて、彼はエジプト王ファラオの夢を解き明かすことによって、全地の統治を任されるまでに引き上げられるのでした。自分を売った兄弟たちが食料を求めてエジプトに来たとき再会するのですが、彼の心も大きく動揺したに違いありません。しかし、そのような感情を乗り越えて、神の御手の中に全てがあることを信じて、兄弟たちに神の壮大な計画の中におかれていることを告白したのでした。これが彼の信仰であり、神がヨセフに示された救いの計画だったのです。
イエスも十字架を通して復活され、パウロも投獄を通して福音が前進している事を喜び、全てを神の御手から出ていることを表明したのでした。
あなたにとって、今置かれている状況は最悪と思える状況かも知れません。しかし、現実はそのように見えてもそこに神の御手があり、導きがあるのです。今未だその脱出の道は見えないかも知れません。しかし、神はそこに素晴らしい御業を用意しておられるのです。私たちが出来る事は、あくまで、神の御手の素晴らしさを徹底して信じ、つぶやかず、嘆かず、呪わず、主に従い通す事を決意していくのです。
悔い改めを通して主の深い御手が見えてくることを信じたいと思います。イエスは今も生きておられるのです。自分にとって合理的と思える答えを簡単に出してしまわないことです。妥協しないで、御言葉を信じ、主を見上げて前進してまいりましょう。主は素晴らしい救いの御業を備えておられます。

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