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NO.036  2009.04.26

 「如何に生きるか」

 

 大阪ホープチャペルの恵納幸子姉の次男の幸司兄が39歳の若さで主に召されました。くも膜下出血での急死でした。ご家族はもちろんのこと、私たちも大きな悲しみに包まれました。急なお祈りの要請に応えて祈ってくださった兄弟姉妹本当に有難うございました。
image 幸司兄は画家として創作活動に打ち込み、また多くの生徒さんを教えてこられました。その生徒さんや画家仲間、大学の先生方や友人の方々など、前夜式、葬儀には250名を超える方々が参列されました。
 幸司兄は幼少の頃、薬害によるリュウマチを患い、小学校の4年生までほとんど学校にも通えないほど病弱でした。その頃、お母様に連れられて、当時大阪の毎日文化ホールで開かれていた福音放送「まことの救い」のリスナーを対象にした癒しと救いの伝道集会に毎月参加されるようになりました。車いすに乗せられて主の癒しと救いを求めて集会に集ってこられていたのを思い出します。
 その歩けなかった彼が主の癒しに預かって歩けるようになったのです。そうして小学校5年の時にはホノルルマラソンに参加。2年目には見事完走を果たしました。それは新聞の記事にまでなったほどでした。神様はそのようにして幸司兄に生きる力を注がれました。更に小さいときから好きだった絵の才能を開花させ、難関の京都美大に入学を果たし、卒業後は画家としての道を歩んでこられました。
 確かに39歳という若さではありましたが、彼の人生は実に濃密であったと思います。1日1日を惜しむかのようにこつこつと精一杯生きてこられた。彼の口から愚痴や不平不満を聞いたことがないとお母様が言っておられました。彼は本当に優しい人でした。しかしその優しさは生きる強さに裏打ちされてる優しさでした。病弱でありながら常に前向きでビジョンを持って生きていた姿は多くの人々に感化を与えてきたのです。
 私は、いつも人の死に接するとき「人生は如何に長く生きるかではなく、如何に生きるか」ということが大切であるかと思わされます。永遠の神の尺度から見れば私たちの人生は30年生きようと100年生きようと実に瞬きの間であり、その違いはほとんどないに等しいのです。
 であるならば人生を如何に生きるかということに、もっとエネルギーを集中させたいと思います。一人一人神様から与えられた、かけがいのない人生があるのです。神が私たちに期待しておられる人生、あなたならではのユニークで素晴しい人生を主は生きてほしいと願っておられるのです。
生きる事に絶望している人たちに、キリストにある人生が如何に豊かなものであり、恵みに満ちたものであるかを、私たちの生きざまを通して伝える者になりたいと思います。

 
主の聖徒たちの死は主の目に尊い。(詩篇116:15)
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