■黙想エッセイ
恐れの主な原因の一つは、不確かさです。私たちは未来のことが分かりません。一歩先が道なのか崖っぷちなのか分からず、怖くて仕方ありません。敵は、私たちの心に未来に対する恐れを植えつけます。そのため、教会に通っている信徒の中にも、預言を求める人がたくさんいます。しかし、単に未来のことが分かったからといって、平安になるわけではありません。未来に対する情報が幸せな未来を保障してくれるわけではないからです。それにもかかわらず、神様を未来を占ってくださる方ぐらいに考える人たちがいます。神様は、占いの結果を教えてくださる方ではなく、開かれる未来のことについて語られる方です。私たちとともに未来を造っていくことを願われます。ですから、預言のことばに込められているものは、未来に対する予言ではなく、自分に対する神様のみこころであると考えるべきです。神様のことばは、人格的な交わりへの招きなのです。
未来を知っても、未来を知らせてくださった神様に信頼できなければ、平安にはなれません。一種の霊的分離不安症にかかっている人は、未来が分かったとしても平安にはなれません。人間は、神様を知ってこそ真の平安を得ることができます。未来を迎える最善の対策は、預言や情報を集めることではなく、イエス様を信じることです。私たちの人生の責任を取ってくださるのは、占い師や預言者ではなくイエス様です。聖書という教科書を握りしめて、イエス様とともに人生という問題集に取り組みましょう。イエス様が正しい道に導いてくださるでしょう。