■黙想エッセイ
カルヴァンの『キリスト教綱要』は、教会史に登場した2つの代表的な異端、アリウス派とサベリウス派の共通点について語っています。アリウスとサベリウスは、最初はどちらも自分たちの神学的な正体を巧妙に隠し、信仰告白をしていました。しかし、勢力が拡大して追従者が急増すると、彼らはキリストの神性と三位一体を格下げしました。
うまく取り繕っても長続きせず、正体が露わになったのです。
正統なものは、自身を隠したり、取り繕ったりすることはありません。
本物だからです。異端はそれらしく見せる力は巧みでも、長続きはしないものです。物や文明が発達するほど、精神的に取り繕う技も精巧で緻密になります。私たちは、何かを綺麗に見せようとする共同体を警戒しなければなりません。
神様を信じると言いながら、行動は全くそうではない人々を「実践的無神論者」と言います。正統な教団に所属していると名乗り出る前に、あるいは、聖書をよく知っていると自慢する前に、自身が実践的無神論者として生きてはいないか、振り返る時間を持ってほしいと思います。敬虔ではないのに敬虔なふり、正しくないのに正しいふりをしていないか、振り返ってみましょう。自分を捨ててキリストを愛してきたか、それともこの世のちりあくたをもっと愛してきたかが、いつか明らかになる日が来ます。